身長161cm。近年、ここまで小柄な選手が、日本代表入りした記憶はない。だが、マラドーナには技術が、メッシには決定力があるように、圧倒的な武器があれば、小柄でも活躍できるのがサッカーである。
「東アジアE-1選手権」に臨む日本代表に初選出された仲川輝人(27)の武器は、DFを置き去りにするスピードだ。
仲川は専修大3年時に、関東1部リーグ得点王に輝くなど、大学No.1の評価を得ていた。横浜F・マリノスへの入団も決まり、前途洋々な未来が開けたはずだった。
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ところが、卒業間近の試合で、「右膝前十字靱帯断裂」の大ケガを負う。プロ入り後も、長期間プレーできない状態が続いた。専修大時代の、源平貴久監督が振り返る。
「当初から能力はズバ抜けていて、欠点を探すほうが難しかった。しかも、彼は『どうしたら(相手を)抜けるか、点が取れるか』を考えられる、ロジカルな選手だった。
3年が終わった時点でプロに行かせてもいい選手だっただけに、(大ケガは)悔いが残る」
長期離脱から復帰しても感覚は戻らず、結果、J2への期限付き移籍も複数回経験した。だが、そこで実戦を繰り返すことで徐々に感覚が甦り、2018年に横浜F・マリノスに復帰を果たすとレギュラーに定着。今季は15得点で得点王を獲得したばかりか、JリーグMVPにも選出された。
一時は地獄を見た選手が、頂点に立つことは容易ではない。それを成し遂げた要因として、「サッカーが好きだったから」と、仲川を教えてきた指導者は声を揃える。
「テルは面倒見がよくて、年下の子たちの練習を、毎日公園で見て教えていました。本当にサッカーが大好きな『サッカー小僧』。中学に行ってからは、学校を休んでも、川崎フロンターレの練習には行っていたこともありました(笑)」(新町ジュニアーズSC時代のコーチ)
中学に入ると、川崎フロンターレの下部組織でプレーした。
「当時から、瞬間移動するようなスピードで、しかも方向転換や細かい動きが無理なくできた。ただ、ここまでの選手に成長するとは。サッカーに向き合ってやりつづけなければ、自信は得られるものじゃないし、やりつづけた結果、得られたものだと思う。
プロに入って苦労した時期もあったと思う。しかし、それを乗り越え、勝ち獲ってきたことで、今はさらに自信に溢れている」(森一哉氏/川崎フロンターレ・U-15当時の監督)
「すごい負けず嫌い。試合で結果が出なかったとき、誰よりも悔しがっていた印象があります」(久野智昭氏/川崎フロンターレ・U-18当時のコーチ)
サッカーを始めて、最初のコーチは父の清美さんだった。
「J2の町田と福岡を経て、だいぶ勉強になったと思う。以前は、あんな後ろまで下がって守備をすることはなかったですからね。横浜F・マリノスの監督はハードワークを求めていましたから、すごく努力したんだと思います。
人見知りする子だったので、人間性を豊かにしようと小1でサッカーを始めました。中高時代は背の低さに悩んだけど、今はその低さを(俊敏性などで)、有効に生かしていますね」(清美さん)
そんな仲川には、試合に臨むにあたって、大事なルーティンがあるという。
「オレンジジュースを飲むことから始まり、両手首にテーピングを巻く、ストッキングとスパイクは必ず右からはく、同じ香水をつけ、同じ音楽を聴く、ピッチに入るときは天を指すなど、10種類にも及びます。
極めつきは、試合前に体毛を剃ること。しかも、『下の毛まですべて剃る』というから徹底しています。『体が軽くなるから』というのが理由だそうです(笑)」(サッカーライター)
じつはこれ、欧州の選手がよくやる儀式。もともと圧倒的なスピードを誇るだけに、体が軽く感じられれば鬼に金棒か。最近、停滞気味の森保ジャパン。仲川のスピードは起爆剤になる。
(週刊FLASH 2019年12月31日号)