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獣神サンダー・ライガー引退「僕はもう頂点を狙えない」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2020.01.04 06:00 最終更新日:2020.01.04 06:00
平成元年、プロレス界初の東京ドーム大会で誕生したヒーローが、2020年1月、令和初の東京ドーム大会で、リングを去る――。
「こんにちはっ!」
東京・渋谷での取材。撮影のためシルバーのマントを羽織って軽快に移動する、獣神サンダー・ライガー(55)は、すれ違う人々にハスキーな声で “笑顔” を向けていく。
そう、ライガーはマスクマンながら、「喜怒哀楽が伝わる」特別なレスラーだ。
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1984年に素顔でデビューし、5年後の1989年、永井豪原作のアニメ『獣神ライガー』のキャラクターに生まれ変わった。「IWGPジュニア王座」など、数々の栄冠に輝き、欧米の選手やファンにもリスペクトされる「世界の獣神」から、次のような言葉が漏れた。
「35年間、大きな怪我なく闘い続けられたのは……ただ、運がよかっただけなんです」
危険と隣り合わせのプロレスにおいて、ライガーのように、大きな怪我なく引退できるのはごく稀だ。それを「運」と言うのなら、運を引き寄せられた秘訣は? そう問うと、少し置いて彼はこう答えた。
「僕の座右の銘は、『なんとかなるさ』なんです。『これ以上、やれることはなにもない。精いっぱいやった!』と思えるところまでやって、天命を待つ。そんなレスラー人生だったのかもしれないですね」
そうして、ちょっと視線を上にやり、昔を振り返った。
「小学6年生で、藤波辰爾さんに憧れて以来プロレスファンで、レスラーになりたいと思い続けていました。しかし身長が伸びず、『180cm以上』が規定の、当時の日本ではダメでした。
ならば、軽量級があるメキシコに渡ろうと決めた。高校3年間はレスリング部の練習と、新聞配達のアルバイトに明け暮れたんです」
「なんとかなるさ」の精神で、17歳で単身、メキシコへ。
「それしかレスラーになる道はないんですから。考えるより、まず行動でした。日本で3つほどの大学から、レスリングで推薦入学の話があったんですが、担任の先生に母が断わりを入れてくれた。息子の夢を信じて応援してくれた、母の存在は大きかった」