メキシコで、当時新日本プロレスのレフェリーだった故・山本小鉄さんを紹介されて直訴、入門が認められた。と、ここまでの経歴はまだ「ライガー」になる前のこと。マスクマン転身の話が舞い込んだのは、英国遠征中の1989年のことだった。
「先に『ライガー』がデビューすることが決まっていて、マスクは最初、武藤敬司選手がかぶる計画だったそうです。その後、船木誠勝選手が候補にあがったが、これも諸事情で流れた。それで、僕のところに打診が来た。僕ですか? 自分の顔にコンプレックスがあったので、二つ返事でOKしました。
帰国して、呼ばれて事務所に出向くと、永井先生の原画が広げられているだけで、準備はゼロ。全身コスチュームを着ることに驚いた(笑)。マスクやコスチュームのデザインからなにから、自分で手配したんですよ」
その後の活躍は、ご存じのとおり。ライガーは、ヘビー級の相手に挑むときも、マスクを破られ怒りの反撃に出るときも、全身に喜怒哀楽がみなぎった。そこにファンは熱狂したのだ。
だが、それから31年、ついにリングを降りる決断をするときが来た。
「3月に、タイトルマッチで石森太二選手に敗れたときに思ったんです。『彼はまだ若く、これから伸びる。でも俺はもう限界……これ以上、伸びしろはないな』って。
『俺はもう、頂点を狙えるレスラーじゃないんだ』って思ったら、心が変わらないうちに、翌日には引退会見をしていました」
引退しても、しばらくして復帰したレスラーは、過去に何人もいる。
「いえ、天龍源一郎さん(2015年引退)に以前、こんなことを言われました。『とにかく腹いっぱいになるまで、レスリングすればいいじゃないか。中途半端なうちに引退するから、また復帰することになる。みっともないと思わないか?』と。いま、僕はもう、本当に『おなかいっぱい』なんです」
1月4日・5日の東京ドーム大会で、リングでの雄姿は見納めになる。
「湿っぽい空気にだけはしたくない。いつもどおり『イケーッ、ライガー!』で応援してほしい。僕もいつもの “怒りの獣神” で上がるから」
永井豪さんからは、引退後も「ぜひライガーでいつづけてほしい」と言われている。
「まだ言えませんが、僕なりに引退後の “青写真” はあります。まあ、引退後も『なんとかなるさ』の精神でね!」
じゅうしんさんだー・らいがー
ライガーとしては1989年4月24日生まれ、永井豪宅出身。170cm、95kg。入れ替わりに姿を消した山田恵一は1964年11月10日生まれ、広島県出身。広島電機大学附属高校時代にレスリングで国体出場。1983年に新日本プロレス入門、1984年にデビュー
写真・長谷川新
取材/文・鈴木利宗
※獣神サンダー・ライガー引退試合は『WRESTLE KINGDOM 14 in 東京ドーム』でおこなわれる。本日17時と、1月5日(日)15時、東京ドームにて。詳しくは公式サイトにて
(週刊FLASH 2020年1月7・14日号)