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池江璃花子が語る闘病生活「家族にも素直に頼れなかった」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2020.02.20 00:22 最終更新日:2020.02.20 09:54
2月19日、『報道ステーション』(テレビ朝日系)に、競泳の池江璃花子選手が出演。2019年2月から12月まで続いた「白血病」との闘病生活について語った。
最初に病名が判明したときは、「どういう病気か知らなかった」という。
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「後から『抗ガン剤治療で髪の毛がすべて抜けます』って言われて、それが一番ショックで大泣きした。
でも、部屋に戻ってきたら意外と元気になってて。病気になったらなったで頑張るしかないなって、すぐに気持ちを切り替えて。それは本心でした」
ポジティブな方向に気持ちを持っていけた理由は、「アスリートとしてはよくない考えかもしれないですけど」と前置きしながら、こう話す。
「(当時は)世界記録まであと少し、世界ランキングも1位、東京五輪では金メダル候補って言われるようになって、自分でもわからなかったけど、プレッシャーがあった。五輪、金メダルって言葉から解放されてホッとして、ポジティブになれたのかも」
抗ガン剤治療は、想像以上に厳しいものだったという。
2019年3月にはツイッターで「思ってたより、数十倍、数百倍、数千倍しんどいです。三日間以上ご飯も食べれてない日が続いてます。でも負けたくない 」と呟いている。
当時について「あのときは、体調が悪くなって3日目ぐらいだったんですけど、その後の方がもっとしんどかった。携帯なんて絶対触れない、テレビも見られない、音も聞きたくない。ご飯も食べないっていう状況が2週間続いた。もう寝返りうつのもしんどかった。数千倍どころじゃない。人が感じる苦しいとは、レベルが違う苦しさなんだろうなって思いました」と話す。
一番つらいときは、死にたいとさえ思ったが、1回目の一時退院で4日間ほど外出したことで、「すべてが幸せで、なんであのときあんなこと思っちゃったんだろ、こんなに楽しいことが待ってたのに」という気持ちになれたという。
池江は、「水泳でずっと結果を出して、弱音もまったく吐かなかったから、病気中もつらいとか言えなかったし、家族に素直に頼れなかった。でも、最終的には家族や関係者の支えがなかったら、絶対乗り切れていない。感謝しています」と話した。
聞き手の松岡修造に、「それだけ苦しいのに、なぜ自分をさらけ出さなかったのか」と聞かれると、池江は「家族に迷惑をかけたくなかった」とだけ返し、涙をぬぐった。
次の目標は、2024年のパリ五輪出場だという。
「覚悟はしています。パリに出られなかったとしても次がある。自信があるわけじゃないんですけど、目標って絶対必要。水泳だけじゃなくて人生で。だから、パリが今の一番の目標。いつの日か試合に出られたら、何秒ぐらいは絶対出しておきたいなって。そういうレベルでは考えている」
インタビューの終盤、「たまに泳いでいる自分の姿を夢に見たりするんです。泳いでいるんです。タイムも聞こえるんです。意外と速くて、びっくりしました。夢ですけどね」と、笑顔で話していた。
4年後のパリ五輪のとき、池江はまだ24歳だ。夢は十分実現できるはずだ。