AKB・坂道
STU48瀧野由美子“私を育てた吹奏楽”【ロングインタビュー「私の原点」①】
AKB・坂道FLASH編集部
記事投稿日:2022.08.29 17:00 最終更新日:2022.08.29 17:00
強豪校の高い壁
中学を卒業すると、姉の後を追って吹奏楽部の名門、防府西高校へ進学。熱量の大きさは誰にも負けないつもりだった。しかし、高い壁にぶち当たる。
「強豪校なので部員が100人くらいいるんですよ。さらに私の代はサックスが多くて。『あー、サックスにはなれないかも』って思いました」
現に、一緒に入部した同じ中学出身の友達は、もともとトランペットだったが、担当楽器をファゴットに替えられてしまった。
「中学のときから全国大会に行っているような子たちが集まっているから、きっと私は最初に楽器変更するよう言われちゃうだろうなと。ただ、運よく残れたんです」
高校でもサックスを吹ける! ―喜びを噛みしめた瀧野さんは懸命に練習した。ただし、困りごともあった。愛用していた楽器のことだ。
ほかの部員は瀧野さんのアルトサックスよりもグレードの高いものを使っており、どうしても音色の違いが出てしまう。足並みをそろえるためには買い替える必要があったが、なかなか親には言い出せない。意を決した瀧野さんは思い切った行動に出た。
「ちょっとお値段がするから、親は絶対に買ってくれないと思いました。だから、先に注文してしまったのです(笑)。『私の楽器を先生に選定してもらったので、もう今さら買えないなんて無理だからね』と」
本来であればそれでも縦に首を振らない厳しい親だったが、このときは購入してくれた。何が心を動かしたのだろうか。
「ふだんはすごくダラダラしている自分が、毎朝始発で行って、夜遅くまで部活して帰ってくる姿を親も見ているから、きっと許してくれたんだと思います」
いつか大舞台に立てることだけを信じ、脇目も振らずに全力疾走していた瀧野さんだったが、全国大会出場を目指すレギュラーメンバーには入れなかった。
「言いわけになってしまいますが、入ったときからキャリアの違う子が集まっていました。入部してすぐにコンクールのオーディションがあって、アルトサックスは1年生がすべて埋めてしまったんです。全国大会に出ている先輩を押し退けて、ソロパートとかも1年生がまかされて。この時点で私は3年間、コンクールに出られないというのがほぼ決まってしまいました」
高校野球で例えるならば、1年生で四番を打つようなスーパールーキーがゴロゴロいたのだ。どうしてもコンクールに出場したい瀧野さんの気持ちを汲み取ったのか、顧問の先生からバリトンサックスならチャンスがあるかもしれないと提案される。
しかし、瀧野さんは断わった。
「大会に出られないかもしれないけど、私は好きな楽器をやりたいです」
自らの意志を貫いた代償として、苦しい現実を受け入れる必要があった。とりわけ3年生の夏の日々のことは今でも鮮明に覚えている。
「全国大会に行くメンバーが合奏している隣の部屋で、一人で練習していて。コンクール用の曲はサックスメインだったんですよ。その曲がすごく好きで、だからこそメンバーに入りたかった。隣の教室から曲が聞こえてくるから、悔しくて、ずっと泣いていました」
こうして瀧野さんの高校3年間は終わりを告げた。けっして満足のいく結果が残せたわけではなかったが、音楽を嫌いになることはなかった。むしろ、もっと深めたい、うまくなりたい―。そうした思いが募り、広島の音楽大学へ進むことを決めた。
親からは金銭的な理由などで反対された。なんとか入学はしたものの、仕送りはしないと言われたため、アルバイトに精を出した。ファンの間ではよく知られる、マツダスタジアムでビールの売り子としてトップセールスを誇ったのもこの時期のこと。華々しく語られる出来事の裏には、苦学生ならではの奮闘があった。
もしかなうなら将来は音楽で生計を立てていきたい。そう考えていた瀧野さんはなぜアイドルの道を選んだのか。
取材&文・伏見 学