楽曲、個人写真集ともに時間をかけてヒット作に。活動5年、注目を集める彼女のルーツをロングインタビューで紐解く――(取材&文・伏見 学)
JR山陽本線の新山口駅から2つ先の大道駅に、4両編成の電車がゆっくりと停車する。
のどかなホームから駅舎の階段をのぼり、小さな改札を通り抜けて北口に出る。県道の路側帯をしばらく道なりに行き、用水路にかかる小橋を渡ると、広大な田畑と小高い山々が視界に飛び込んでくる。ジリジリと照りつける日差しを背に受けながら田んぼ道をさらに進むと、防府西高校にたどり着く。
同校は、アイドルグループ・STU48の瀧野由美子さんの母校である。瀧野さんは押しも押されもせぬSTU48のセンターであり、グループの顔だ。そんな彼女にとってここは青春を捧げた場所であると同時に、故郷・山口の原風景ともいえる。
「地元の自然や空を目にすると、帰ってきたなと感じます。高校周辺の景色もまさにそう。駅から畑道を20分くらい歩くんですよ。コンビニもなんにもない。夏はめちゃくちゃ暑くて。今でも夏の空を見ると、高校時代を思い出します。私、外で(サックスを)吹くのが好きで、たとえば、渡り廊下で吹いているときに空を見上げたりしていました」
防府西高校の吹奏楽部は全国屈指の強豪校である。10年連続で全日本吹奏楽コンクール山口県大会の大賞を獲得し、中国大会でも常に上位につける。’21年の日本管楽合奏コンテスト全国大会では優秀賞にも輝いている。
瀧野さんも部員の一人として、高校3年間のすべてを吹奏楽に注ぎ込んだ。
「朝練のために毎日始発で学校へ行きました。お昼前にご飯は食べてしまって、お昼休みもずっと練習」「年明けに大会があるから、お正月も2、3日くらいしか休みがなくて。お盆の時期もほとんど休めない」
唯一の息抜きは、部活動のないテスト期間中。仲間たちと羽を伸ばした。
「隣駅にイオンがあって、そこで皆で映画を観たり、フードコートでご飯食べたり。それくらいしか遊んだ記憶はないです。カラオケも行ったことがありません」
そんなときでも鍛錬は欠かさなかった。
「楽器って一日練習しなかったら、力を取り戻すまでに何日もかかるというから、なかなかお休みがなくて。テスト期間は家にサックスを持ち帰って吹きました」
青春を謳歌したポジティブな学生生活に思えるかもしれないが、現実はそうでもなかった。彼女の努力がすべて報われたわけではなく、悔しさや葛藤も抱えていた。
瀧野さんの半生をたどりながら、人生の糧となっている吹奏楽部の経験、アイドルへの転身、そして郷土への思いに迫った。
小学5年生で一目惚れ
瀧野さんは’97年9月24日、母親の里帰り出産によって香川県で生まれた。一家は転勤族だったため、長野県、神奈川県、岐阜県と渡り歩き彼女が小学3年生の夏休みに父親の実家がある山口県へ引っ越してきた。
人見知りの性格だった瀧野さんを同級生は温かく迎え入れてくれて、すぐに友達ができた。どんな小学生だったのだろうか。
「友達とよく駄菓子屋に行っていました。お小遣いをもらっていたわけではないので、お風呂掃除をしたら10円、食器洗いをしたら10円という感じで、毎日駄菓子のためにたくさんお手伝いをしていましたね。好きな駄菓子ですか? ねり飴です」
「習いごとは書道を2年ほどやっていました。あとは、おてんばだったので、おとなしくなるようにと茶道も習わせてもらいました」
田畑や森など自然豊かな山口の風土が気に入り、その中でのびのびと育った瀧野さんが、人生を大きく変える出会いをしたのは、小学5年生のときだった。
「2つ上の姉が中学で吹奏楽部に入り、そのマーチングバンドを鑑賞しに行きました。そこで初めて見て、もう一目惚れでしたね」
瀧野さんを一瞬で虜にしたもの。それはサックスだった。私もサックスをやりたい、いや、絶対にやるんだと心に誓った。
それまで音楽は本格的に習ってはいなかったが、リコーダーは好きで、毎日のように休み時間に演奏していた。
「授業で皆が課題曲に取り組むなかで、先生が『瀧野さんはこれ絶対に吹けるから』と、カノンの楽譜をくれました。タンタタ、タンタタ、タタタタタタタタと一人だけ別の曲を吹いていました」
中学生になり、念願の吹奏楽部に入部。ところが、サックスがカッコいいと周囲にアピールしすぎていたせいで、同級生の多くもサックス奏者を希望した。当然定員は決まっているため、入部してすぐにポジション争いが起きたのだ。
「皆がサックスになれるわけじゃないから、めちゃめちゃ練習を頑張りましたね。そこでかなり上達しました」
見事、ポジションをつかんだ瀧野さんは、1年生ながらコンクールのメンバーに選ばれる。そのときの演奏曲は忘れられない大切なものになった。
「『ホワイトパスポート〜夢に生き、光の国へ旅立ったある少女へのオマージュ〜』っていう曲なんですけど。今でもサックスの音出しをするときに吹くくらい、すごく好きな曲です」
瀧野さんのサックスに対する情熱はますます膨れ上がっていった。中学2年時に転校した先の吹奏楽部ではこんなことがあった。
「サックスの人数は足りていたのと、もう楽器の在庫が部にはなくて…。でも、サックスができないなら吹奏楽をやる意味がないと思うほど好きだったから、親に必死にお願いして中古のアルトサックスを買ってもらいました」