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STU48キャプテン・今村美月「人生最後のオーディションに」心に誓った第1期生オーディション【特別インタビュー①】
AKB・坂道FLASH編集部
記事投稿日:2023.06.03 21:00 最終更新日:2023.06.05 12:17
養成所で鍛錬を繰り返し、ようやくアイドルのスタートラインに。しかし、その技術が思わぬところで「足かせ」に…。葛藤を抱えながら活動を続ける彼女が考える「アイドル像」「リーダー像」に迫る。その第1回。
(取材・文 伏見学)
広島市内を南北に流れる旧太田川。川沿いの遊歩道には日差しを受けて鮮やかに輝く桜の木が並ぶ。その下に腰を下ろして談笑したり、お弁当を広げたりと、思い思いの時を過ごす人たち。穏やかな春日和となった2023年4月9日、平和記念公園内の国際会議場・フェニックスホールではSTU48の6周年コンサートが開かれていた。
このステージ上でひときわ躍動する一人のメンバーに目を奪われた。キレのあるダンス。前後左右の激しい動きにもぶれない体幹の強さ。一挙手一投足に無駄がない。そして、「神は細部に宿る」がごとく、伸ばした指先まで繊細にコントロールされている。
ダンスだけではない。ユニット曲やソロパートなどでは安定感のある美声を披露する。さらには、40人以上のメンバーを後ろに従えて、堂々たるスピーチをやってのける。常に笑顔で獅子奮迅の働きを見せていたのは、STU48のキャプテン・今村美月さんである。
ダンスの技術や歌唱力の高さは、彼女のキャリアに裏打ちされている。8歳から17歳までアクターズスクール広島(ASH)に在籍し、鍛錬に鍛錬を重ねてきた。ASHとは1999年の開校以来、PerfumeやBABYMETAL、モーニング娘。などのメンバーを数多く輩出してきた芸能養成所のこと。今村さんはここでSPL∞ASH(スプラッシュ)という地元・広島に根ざしたアイドルユニットのメンバーに選出され、Jリーグ・サンフレッチェ広島のPR活動をおこなったり、コンサートやイベントに多数出演したりした。10代半ばにしてすでに“プロ”として精力的に仕事をこなしていた。
2017年3月に今村さんがSTU48のメンバーとして活動を始めた後は、憧れの先輩に続けと、ASH出身者が次々とSTU48の門をくぐった。現在は今村さんを含めて9人のASH出身者がグループで活動している。
今でこそ誰もが認めるSTU48の顔だが、かつては今村さんの卓越した技術が“足かせ”となり、本人を大いに困惑させた。加えて、彼女のキャプテンシーが不安視されることもあった。これまでほとんど表には出してこなかったが、今村さんはさまざまな苦悩や葛藤を抱えながらも、STU48の活動を続けてきた。幾多のハードルをどう乗り越えて、現在地に辿り着いたのだろうか。
あの日のステージで見た、アグレッシブさを前面に押し出した姿とは対照的な、どこか控えめで、おっとりとした雰囲気が漂う今村さんの本心に迫った。
人生を変えた、8歳の夏の出会い
全国で119万人を超える「ミレニアムベイビー」の一人として、2000年2月日に広島市で生まれた今村さんは、一人っ子で、自由な幼少期を過ごした。幼稚園の頃にバレエダンスやピアノなどの習い事を始める一方で、セミやカマキリなどの虫捕りをしたり、近所の友達と「ごっこ遊び」をしたりと、毎日のように家の外を駆け回っていた。 家では両親と一緒にテレビを見ることが多かった。その時に画面越しに出会ったのが、キラキラと眩しいアイドルたちだった。
「ミニモニ。やプッチモニが好きになって、玩具のスタンドマイクとかを買ってもらいました。(アイドルの真似をして)ずっと歌って踊っていましたね」
そんな今村さんが歌とダンスに熱中するようになったのは、8歳の夏だった。
「夏休みにASHの3日間のサマースクールがあって、歌とダンスをみっちり体験できるというのをテレビCMで見たんです。アイドルに憧れていたから、私も行ってみたいと思って親にお願いしました」
その前年の2007年、Perfumeがブレイクするきっかけとなった『チョコレイト・ディスコ』や『ポリリズム』がリリースされていたが、小学生だった今村さんはASHのことは知らず、たまたまテレビで見かけただけに過ぎなかった。サマースクールでは、それまで習っていたバレエダンスにはない、仲間と一緒に歌って踊るという一体感を味わい、丁寧に指導してくれるスクールの先輩たちの優しさなどに感激した。今村さんは迷うことなく入学を決め、夏休み明けから正規のスクール生となった。
ASHでは基本的に毎週土曜もしくは日曜にレッスンを受けた。ヒップホップやジャズダンスなどは初めてだったが、今村さんののみ込みは早かった。「ピアノやバレエをやっていたので、歌えない、踊れないということはあまりなくて。うーん、ほとんど苦労はしなかったかもしれないですね。でも、ずば抜けてうまかったわけではないので…」と今村さんは回想しながら、「へへへ」と照れ笑いする。
それよりもASH時代のことといえば、オーディションばかりをやっていた記憶しかないそうだ。年に2回開かれる発表会に出演するためには自分たちで組んだユニットによるオーディションや、個人参加のソロオーディション、さらにはASHの講師陣が作品を企画、構成、演出する「P企画オーディション」というものにエントリーしなければならなかった。
「たとえばソロオーディションは、まずクラス内でオーディションして、そこで受かった子が本選のオーディションでパフォーマンスを披露できました。発表会にはクラス全員が出演できる曲もありましたが、その構成決めのオーディションも行われました」