エンタメ・アイドルエンタメ・アイドル

蛍原徹の下積み時代「財布には20円」「70円のチクワで3食」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.05.01 20:00 最終更新日:2020.05.01 20:00

蛍原徹の下積み時代「財布には20円」「70円のチクワで3食」

 

 雨上がり決死隊蛍原徹が、4月28日放送の『幸せ!ボンビーガール』(日本テレビ系)で、下積み時代を振り返った。

 

 大阪・門真市の実家は、隣と壁1枚を挟んだだけの長屋。隣人の生活音が丸聞こえで、雨漏りもした。貧相な自宅だったが、小学生の頃は運動神経もよく、夢はプロ野球選手。バレンタインチョコも毎年15個ほどもらい、モテていたという。

 

 

 中学時代、桑田真澄がいた野球チームと対戦し、レベルの差を痛感して野球選手の夢を断念。3年間ダラダラ過ごしていた高校時代、ダウンタウンを知り、芸能界を目指すようになった。芸能スクールに入学し、ダンスや発声練習に汗水を垂らす。

 

 当時、一人で住んでいたのは、外壁にヒビが入った、家賃5万円のマンション(バストイレ別)。バーテンダーのバイトをしていたが、オーディションが不定期だったため、日雇いバイトに切り替えた。有馬温泉の近くの山に行って芝生を張る、工事現場でがれきを運ぶといった肉体労働をするも、生活は厳しかった。食事は、5本入りのチクワ70円を炒めて作ったチクワ丼。これで3食しのいだという。

 

 一発逆転を目指し、バイト代を競馬につぎ込むも、負け続ける。そのぶんを取り返そうとして、借金は300万円にまで膨れ上がった。財布には20円しかない日もあった。

 

 さらに生活が困窮し、実家にあったテレビをはじめ、金目の物を質屋に出すように。ついには傘を持っていき、「500円ほしい」と頼むと、「傘はいらないから、500円持って帰りな」と言われたことも。

 

 1991年、ダンスユニット「吉本印天然素材」でブレイク。2000年に出演した舞台『カノン』で、髪型をおかっぱにしたところ、共演した唐沢寿明から「このままのほうがいいよ」と言われ、いまの髪型に落ち着いた。

 

 番組MCを務めるほどブレイクした蛍原だが、その代わりに「モテなくなった」という。だが、もう昔の貧乏時代に戻りたいとは思わないだろう。

続きを見る

今、あなたにおすすめの記事

エンタメ・アイドル一覧をもっと見る