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大林宣彦監督が本誌に明かしていた「15歳の原田知世」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.05.03 06:00 最終更新日:2020.05.03 06:00

大林宣彦監督が本誌に明かしていた「15歳の原田知世」

 

 4月10日は、最新作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』の公開予定日だった。この日、映像の魔術師・大林宣彦監督が、肺ガンのため亡くなった(享年82)。『ねらわれた学園』(1981年)、『転校生』(1982年)など、数多くのヒット作を放ち、長く映画界を牽引してきた。

 

 映画コメンテーターの有村昆さんは、こう語る。

 

 

「大林監督は、インディペンデント映画出身で、CMディレクターなども経験されていたので、どの作品も実験的で、演出も大胆でした」

 

 7年前、本誌は、映画『時をかける少女』の公開30周年の節目に、大林監督にインタビューをおこなった。2013年7月29日、午後1時50分。都内にある大林監督の事務所に、タイムトラベルしてみよう。

 

 

 1982年、「角川映画大型新人女優募集」で特別賞を受賞した原田知世が、新作映画の主演に抜擢された。当時、中学3年生だった。

 

「(角川)春樹さんが、知世に惚れたんですよ。『自分が結婚したいくらいだけど、年齢の差で無理だから……。いたいけな少女だから、芸能界で活動させるのはかわいそうだ。1本だけ映画に出して引退させよう』と。

 

 そして、『これ、映画になりませんか?』と渡されたのが、筒井康隆さんの小説『時をかける少女』でした」

 

 大ヒットを連発していた角川映画。だが、同作の製作費は、1億5000万円の低予算だった。

 

「もう時効だから、いいと思うんだけど、春樹さんの個人名で製作費がドンと振り込まれたのです。(角川春樹さんと僕という)“2人のあしながおじさん”、と言いたいけど、遠慮して、“2人の胴長おじさん” が、知世のために映画を1本プレゼントしてあげようと。『観客は春樹さんひとりだけでいい』と思ってね。

 

 そして、30歳、40歳、50歳になって、おばあちゃんになった知世が昔を懐かしんで、ひとり部屋で、誰も観なかった『時をかける少女』を観ている姿もいいな、と思っていたんです」

 

 映画の撮影期間は、ふつう2カ月ほど。『時をかける少女』は、わずか28日間だった。

 

「知世は中学3年生だったので、『きちんと中学校の卒業式と、高校の入学式に出してあげよう』と。人生にとって、とても大切なことだから」

 

 大林監督の愛情は、エンドロールでも表現されていた。

 

「映画の最後は、撮影現場で知世が、ミュージックビデオのように主題歌を歌っています。彼女の伸び伸びとした姿も、記録として残しておきたいと思ったんですね。

 

 僕は映画のなかで、知世を大正ロマンチシズムの世界に閉じ込めてしまっていた。だから、『カット!』のあと、『さぁ、ふだんの、いつもの知世に戻ろう!』と言って、撮っていったんです。

 

 地上波で最初に放送したとき、時間の関係もあって、この部分をカットしました。 すると、『監督がかわいそうだ』という投書が届いたそうです。いえいえ、僕がカットしましたよ。

 

 エンドロールの映像は、知世のために作ってあげたシーンで、映画館で観てもらうためのもの。『テレビの前の人に観せるものか!』という思いで切りました(笑)」

 

 大林監督は、「不思議な至福の映画だった」と振り返った。

 

「角川春樹が愛した知世。僕も、『僕が愛した知世』の映画(を作った)。それを通して、観客は、純愛ラブレターを見せてもらったような感覚になった。ファンのみんなにとっての『僕が愛した知世』になったのでしょう」

 

 それが、一種の奇跡を生んだのだ。

 


はらだともよ
1967年11月28日生まれ 長崎県出身 1983年、『時をかける少女』で映画デビュー。同作で、日本アカデミー賞ほか、各映画賞の新人賞を受賞。現在も女優、歌手として活躍中

 

(週刊FLASH 2020年5月12・19日号)

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