2人は大阪出身で、小学校から一緒の幼馴染。2011年に上京してからしばらくは、同居していた。これほど会う機会が減ったのは、初めてのことだ。
「芸人友達のほうが、まだ会ってたかな。でも、ときどき連絡はとっていて、加納が生きてるのは知ってたので、『ずっと一緒じゃないと寂しい』という気持ちは、なくなってきましたね。
むしろ2019年に一緒に住むのをやめたときが、めっちゃ寂しかったです。東京に出てから約8年、同居してましたから。……うわ、いま考えるとキモっ! 一緒に住みすぎの、ファミリー系コンビ(笑)。
同居を解消したのは、加納から『30代になって、お前と一緒に住むのは……違うな』って言われたから。コロナもあって、やっと『加納のいない生活』に慣れたところです」(村上)
村上にとって加納は、名実ともに「欠かせない存在」だ。
「私は昔から “ストッパー” がなくて、思いついたら言ってしまうのを、止められないんですよ。加納にも『あんたは、なんにもストッパーがないわ。つけたほうがいいよ』って、ずっと言われてきました。
だけど……どこにもなかった。やっぱりホームセンターにも売ってなかったんで、『村上用ストッパー』は(笑)。そのまま、この歳まで来ちゃいました。だから、加納が私のストッパーみたいなものなんです」(同前)
“ハイパーブレーン” で “ストッパー” の加納は、どう感じているのか。
「そんな『いい話』じゃないんですよ……。でも、これからも村上とは一緒にやっていきたいと思っていますし、あいつの “魅力” は変わってないと思ってます。
村上は私にとって、ずっと特別な存在ではありました。昔からずっと周りで一番変わってて、『こいつ、変やなあ』って気になってたんです。でも、村上への見方は……死ぬほど変わりました。
子供のころは足も速くて運動できたし(笑)、尊敬していたところがあります。私は長距離を努力して走るタイプで、あいつはハナから短距離が速いって感じで。“野生” というか、カッコよかったから、うらやましくもありました。
思春期になって、いわゆる女性同士の “派閥” が生まれた時期も、あいつは『どこにも属さへん』っていう感じで。でも人に悪意を当てられないタイプで、ひょうひょうとした “いい性格” なんです。……まあ、ビジネスパートナーとしては、そんな呑気なことは言ってられないんですけど(苦笑)」(加納)
コンビを組んで初舞台を踏んで以来、加納は村上を「ビジネスパートナー」として見るようになった。
「私が大学を辞めたあと、一緒に芸人を始めたんですが、最初から村上と『何かしよっか』って言ってて、その『何か』が、お笑いやったんです。
中学の頃から『この子はもしかして、努力が似合わない……というか、努力ができないタイプかもしれない』とは思ってました。そしてコンビを組んだときに改めて、『こいつ、ホンマにアホなんやなぁ……』と。
結成当初の村上は、単純に『ウチ何もできない……』って感じでしたけど、ここ数年で『ウチは、何もできないキャラです!』っていうのを覚えてきて、大人になったなと。私からしたら、『ホンマに何もできんやろ!』って感じですけど(笑)。
その成長はたぶん、村上を認めてくれるお客さんの数が増えてきたのと、比例しているんやと思うんです。それまで私が自分とネタのことに必死で、なかなか『村上のそのままを認めてもらう』という発想にならなかったんですが」(同前)
Aマッソにとって、ひとつの転機になったのが、レギュラー番組『Aマッソのゲラニチョビ』(静岡朝日放送のWeb放送局『SunSetTV』、2020年3月31日で事業終了)だ。
「私らが “やらされる系” の回が結構ありました。リアクション下手なのがバレる企画とか、私はボケなのにツッコミをさせられる企画とか……。自分がキモいし、恥ずかしいから思い出したくなくて、編集された完成版も見ませんでした。
なかでも、『23区シリーズ(ボケの撮れ高で移動費を稼いで23時間で都内を回る企画)』は、自分で何やってるかがわからなくて、ツラかった……。ずっとボケさせられてるのに理由がない、と思ってしまったんです。
私は、ちゃんと意味をわかって仕事をしたくて。昔は加納やスタッフさんが、いちいち説明してくれていたんですけど、ここ数年はしてくれなくなったので、『自分なりに解釈する』っていうのが身についてきたかな」(村上)
対して加納は、同番組を通じて自分たちの成長を感じていた。
「一番大きかったのは、『やりたくないこともやっていた』ということ。意見をもらったときに、私らが『これ、やりたくないけどな』って言っても、『いや、そのやりたくない感じがおもしろいんですよ』って言ってくれるスタッフがいたんです。
たとえば、私が気づいてないことでも客観的に、『村上さんのこういうところ、おもしろいですよ』って言ってくれたり、すごくありがたかったですね。そういうスタッフ発の企画を通して、村上の『人となり』を知ってもらうことができたので」(加納)