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美川憲一、どん底から救ってくれた仏師と再会「龍神様のお導き」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.10.11 06:00 最終更新日:2020.10.11 06:00
「龍」は、秀雲さんにとって特別な存在だ。本人によれば、ネパールでの修行中、ジャングルの中で途方に暮れているところを龍に道案内され、インドのブッダガヤに辿り着いた経験があるという。
助けてくれた龍へのお礼として、龍の彫刻を彫るようになり、今では頭の中に語りかけてくる “龍神様” と対話しながら、彫刻を手がけているそうだ。そして不思議なことに、美川もまた、龍と深い因縁がある。
美「子供のころから、母がなにかにつけ『龍神様、龍神様』と言っていたんです。だから私も、お守り代わりに龍の絵をお財布に入れているし、自宅では、母の写真の隣に龍の絵を飾っているの。人生を通じて、龍に守られていると感じていて。今回、先生と再会できたのも、そのおかげなんじゃないかしら」
秀「まさに “龍縁”、龍が取り持つ縁なんじゃないかな。美川さんは龍に守られているから、美川さんを裏切る人は、ひどい目にあうよ」
かつては、たびたび食事もともにしていたという2人。1982年9月10日の日付のある、美川が残したサインには、若き日の2人の姿を収めた写真が貼られていた。
秀「このときは、美川さんが嫌いなジンギスカンを、私が食べさせたんだよね」
美「覚えてますよ。私は、いまでもジンギスカンが嫌いで、絶対に食べませんけど」
秀「当時、北海道の田舎では食堂といえばジンギスカンだったし、地元のものを食べたほうがいいと思っていたんだよね。美川さん、泣きながら食べていたんじゃない?」
美「泣きはしませんでしたけど、店の人に失礼だと思って、少しだけ箸をつけましたよ」
秀「それにしても、あのころの美川さんは、つらい時期だったはずなのに、愚痴を言ったり、弱い姿を見せなかったよね」
美「どん底に落ちていく時期で、1984年には大麻で2回めの逮捕もされました。でもね、私、隠してないのよ。まわりに悪い友達ができて、薬物に手を出してしまった。でも私は、その現実をしっかり見据えましたよ。あの汚点をバネにして、ゼロからやり直そうと頑張りました」
秀雲さんが、遺跡の修復や彫刻の仕事で世界を飛び回る一方、美川も1990年代以降、再ブレイクを果たし、再び人気歌手として上り詰めていった。
秀「美川さんが帰るとき、長靴を履いて、ボロボロのジープで夕張から千歳空港まで送ったのが最後だったかな。あれから38年、こうしてまた美川さんの元気な姿を見ることができて、本当に嬉しい。“波動”も、昔と変わらない」
美「いま、デビュー56周年ですが、60周年を目指して頑張ります。もしかしたら、もっとかも。先生も長生きして、これからも龍神様に仕えて、私たちを助けてください。フフフ……」
(週刊FLASH 2020年10月20日号)