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渡辺いっけい、「嫌われ役者」の価値観を三谷幸喜が変えてくれた
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.03.31 11:00 最終更新日:2021.03.31 11:00
小劇場演劇の聖地である“演劇の街”下北沢。その中心ともいえる本多劇場の目と鼻の先にあるのが「カフェ カナン」。
この店には多くの役者が足を運んできたが、渡辺いっけいもその一人。芝居を観たあとのひとときを、店のカウンターで過ごす。
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「ここが定番席かな。マスターとこうやって、映画や舞台の話をしながら過ごします。『あの舞台観た?』なんてね。
いろいろな情報を聞いたり、教えてもらうことが多いですね。演劇仲間と話すのとはまた違うので、ふっと気持ちが楽になるというか。とにかく気が休まるんですよ。
もうかれこれ、30年ぐらいになるのかな。冷たいカフェオレを飲みながら、疲れたときはいろいろな話をしちゃってますね。甘いものが好きなので、ケーキを一緒に食べます」
舞台にドラマにと、多くの作品で活躍する渡辺だが、子供のころの夢は漫画家だった。
「小学生のときに好きだったのは永井豪さん。『ハレンチ学園』とか『あばしり一家』とかちょっとエッチな漫画でね。
テストのときに答えを早く書き終わると、裏に永井豪さんを真似たエッチな漫画を描いたりして、親が呼び出されたこともありました(笑)」
黒インクやケント紙を準備して漫画に夢中になった。好きなことが仕事になる喜びを味わったのが、小学校の壁新聞係を担当したときだった。
「自分たちの漫画をみんなに読んでもらいたくて壁新聞係になったんですが、それまで自分たちのお小遣いで買っていた道具を学校が用意してくれるんですよ。
自分の価値観がひっくり返るというか、大袈裟な言い方をすると、好きでやっていたことが仕事になった瞬間でしたね。このときの感覚をすごく覚えています。
それと壁新聞を張り出すときの高揚感。クラスのみんながワクワクしながら張り出されるのを待っているんですよ。
これがエンタメの原体験じゃないけど、本当に自分が好きなことをやって、みんなに見てもらって楽しんでもらうことの喜びを、ここで覚えちゃった感じはありますね」
■文化祭の舞台から客席を見た瞬間…
漫画家を目指していた渡辺は本名の「一惠」を音読みして「渡辺いっけい」というペンネームまで考えていたが、高校で衝撃を受けるほどの才能を持った2人に出会い、夢を断念。
その後はサブカル系雑誌の投稿コーナーに夢中になった時期もあり、何かおもしろいことを仕事にできないかとぼんやり考えていた、まさにそのときだった。
「文化祭って体育館が劇場になったりして、学びの場がエンタメの場にひっくり返りますよね。それがすごく楽しくってね。
自分もひやかしで舞台に出たんですが、出番の直前、舞台の袖からわっと沸いているお客さんを見たときに鳥肌が立ったんですよ。
これを職業にしてる人がいるんだって、役者になったらこれを365日できるんだって気がついた。早速翌日から役者を目指すにはどうしたらいいか、進学先を考えました」
こうして大阪芸術大学に入学した渡辺だったが、またも入学直後に挫折を味わう。
「演劇コースで体力テストを兼ねて山登りの授業がありました。僕は途中でへばって頂上まで行けず、助けてもらった先生に『スタッフという手もあるから』と、最初の授業で駄目出しを食らって、もうがっくり。演技ではなく体力への駄目出しですよ(笑)」