【さだまさしコメント全文】
勇気凜々の人
「母がテレビに向かって何か叫んでいたので何かと思って聞いてみたらね…」と、お嬢さんの加藤タキ姐が笑い乍(なが)ら話してくれたことがあった。
『笑っていいとも』で毎日「さだは暗い」「女々しくて最低だ」と僕の悪口を言い続けるタモリさんに向かって、堪忍袋の緒が切れた瞬間だったようで、シヅヱ先生はテレビに、にじりよって正座したまま「あなた如きに何が分かりますか!」と真顔でタモリさんを叱っていたのだ、ときいてボクらは爆笑した。
シヅヱ先生のジョークかと思ったら本気の怒りの炸裂だったそうで「関白宣言」が大のお気に入りだった加藤シヅヱ先生なりの僕への強い愛と、人の悪口をジョークにすり替えて笑いモノにする当時の風潮に対する強い怒りと正義感の発露だったようだ。
日本で最初に女性代議士になった加藤シヅヱ先生は戦後の日本に於ける「女性解放」の最強の戦士の一人であり、社会党の加藤勘十先生の奥様でいらしたので、そのような方がまさか世間から「女性蔑視」と叩かれた「関白宣言」が大好きだとは思わなかったが、何だか凄く嬉しかったのを憶えている。
それで先生の米寿のお祝いにタキ姐と相談してご自宅に押しかけてライブをやった。
「関白宣言」についてシヅヱ先生は僕にこんなエールを送って下さった。「あなたは正しいことを言ってます。それにこの歌は良い歌です。愛とはこういうモノです。これが分からない女や男は莫迦です。幸せはこういうものです。私はそのように生きてきました」と。
僕はそれ以来、色々言いたがる世間に対して「俺の背中には加藤シヅヱがついているんだ、さあ、かかってこいや!」てな気分になりましたよ。
岩手の安比高原ではお正月毎年ご一緒させて頂いたし、最後まで大きくて温かな方でした。優しい最高の女性でありながら理不尽なことに対しては絶対に一歩も引かない勇気と情熱と正義の人でした。
僕は後にシヅヱ先生に「勇気凜々」という歌を贈りました。シヅヱ先生、僕は今でも愛しい姉貴、タキ姐と時々会って楽しく盛り上がっています。それにしてもシヅヱ先生が初の女性代議士になられた日が4月10日だったとは…。その日は奇しくも僕の誕生日なのです(笑)。
ああ、また会いたいなあ。シヅヱ先生、恰好良かったよ。
さだまさし拝