エンタメ・アイドル
名曲散歩/山本譲二『みちのくひとり旅』 アイデア尽きてふんどし姿に
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.04.11 16:00 最終更新日:2021.04.11 16:00
東京・神田の古いビルの2階。そこには夜な夜な紳士淑女が集まり、うんちくを披露しあう歌謡曲バーがあるという。今宵も有線から、あの名曲が流れてきた。
お客さん:お、このイントロは山本譲二の『みちのくひとり旅』。まさに男の激情ともいうべき恋心を歌い上げた1曲だね。
【関連記事:名曲散歩/庄野真代『飛んでイスタンブール』もともとは野口五郎のために書かれた曲】
マスター:1980年にリリースされ、記録的なロングセラーとなったけれど、ヒットまでの道のりは長かった。
お客さん:売れたのが30歳を過ぎてからだもんな。
マスター:山本譲二は18歳のとき、山口県から上京。職を転々としながら歌手デビューするも芽が出ず、その後、北島三郎に弟子入りしたけど、鳴かず飛ばずだった。
お客さん:苦節10年以上か。
マスター:ある日、北島に呼び出され「いい曲がある。これで売れなかったら、もうやめろ」と最後通告を受けた。
お客さん:厳しいねえ。
マスター:指示された場所に行くと作詞家・作曲家・ディレクターがいて、そこで聞かせられたのが『みちのく一人旅』だった。聞き終えた瞬間、「歌わせてください」と土下座したそうだ。ちなみに曲名はもともと『最後の女』だったという。
お客さん:今となっては『みちのくひとり旅』以外、考えられないね。
マスター:北島の教えは「3人以上集まったら歌え」というもの。全国の酒場、スーパーの店頭はもちろん、新幹線の車内、空港のデッキでも歌ったという。すると有線にじわじわリクエストが集まり、『夜のヒットスタジオ』に出演したことで爆発した。
お客さん:人間、辛抱すれば何とかなるんだね。それにしても長い間ヒットしていたよね。
マスター:実は、その長い間ヒットしたことが『ザ・ベストテン』(TBS系)の、あのふんどし姿につながった。
お客さん:どういうこと?
マスター:『みちのくひとり旅』は、1981年8月13日に10位で登場、一度圏外に落ちるも、1982年2月4日まで、実に24週もランクインしていた。実はこれ『ザ・ベストテン』の記録でもあるんだ。
お客さん:『ルビーの指環』よりも長いんだね(※19週で2位タイ)。
マスター:そう、演出側も最後の方はネタが尽きて、プロデューサーがある日、イメージしりとりのように、「オトコの愛情→思いやり→オトコだけの世界→オトコの美学→美学→三島由紀夫→痩身→ふんどし」にたどり着き、翌日、山本に「ふんどし姿で歌ってください!」と頼んだという。
お客さん:覚えているよ。ふんどし姿の男衆を従えた山本譲二がイントロで水をかぶるんだ。冬だったから観ていて寒かったなあ。
マスター:もう40年近くたつのに、山本譲二と言えばあのふんどし姿が思い浮かぶんだよ。
お客さん:インパクトの強さは絶大だったなあ。
おっ、次の曲は……。
文/安野智彦
『グッド!モーニング』(テレビ朝日系)などを担当する放送作家。神田で「80年代酒場 部室」を開業中
参考:山田修爾『ザ・ベストテン』(新潮社)/『ザ・ベストテン~甦る!80’sポップスHITストーリー~』(角川書店)/朝日新聞2017年12月16日