中学3年生のときに観た映画『リアリティ・バイツ』(1994年)でのイーサン・ホークの「僕はこれだけで満足だ。タバコとコーヒー、おしゃべり……君と僕と5ドル」というセリフにしびれ、映画誌をむさぼるように読んだ。佐藤隆太は、俳優を目指して日本大学藝術学部映画学科に進学した。
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今回、取材場所に選んだ「TGI FRIDAYS 渋谷神南店」は、大学2年生のときにアルバイトをした思い出の場所だ。
「たまたま求人していることを知り、映画に出てくるアメリカンダイナーのような雰囲気にも惹かれて応募しました。(採用)面接がとてもユニークで、いろんな道具を渡され『これを使って何かしてください』と言われたり。
即応性やユーモア、明るさを知りたかったんですかね。オーディションみたいな面接で驚きましたけど、役者志望だったので楽しめました。
渋谷店にお邪魔するのは何年ぶりだろう。今日頼んだのは当時からの人気メニューで、僕も大好きだった料理です」
アルバイトを始めて4カ月後、渋谷パルコ劇場で上演された宮本亞門演出の舞台『BOYS TIME』(1999年)でデビュー。初めて受けたオーディションに合格したのだった。
「大学の同級生がそのオーディションを受けるということで、僕にも教えてくれたんです。大好きなウルフルズさんの曲で構成されると知って『これは受けるしかない!』と」
こうしてプロの俳優としての第一歩を踏み出した。
「歌も踊りも実践的な芝居経験もない僕に、先輩方がゼロから教えてくださいました。とても恵まれた、幸せな毎日でした」
だが、本番の1週間前に突然、経験したことのない恐怖に襲われた。稽古に向かう電車の中だった。
「ふと、冷静に『いよいよ本番か』と考えたら、自分がプロとして、大きな舞台に立つことが怖くなったんです。全身が硬くなって、足が動かなくなった。
どうしても次の一歩が出ないんです。電車に乗ったはいいものの、すぐ次の駅で降りてしまって。誰かと電話で話したかったんですが、大学の友人は授業中だったりで誰とも繋がらなくて。
恥ずかしいですけど、母親に電話しました。すると『(高校まで)部活の野球であれだけ苦しい練習をやり切ったんだから大丈夫だよ』と言われて。その言葉を聞いたら足が動くようになって、稽古場に向かうことができました」
■高3のときの夢をかなえた「代表作」
『BOYS TIME』での演技がTBSの磯山晶プロデューサーの目に留まり、出演した『池袋ウエストゲートパーク』(2000年)、『木更津キャッツアイ』(2002年、いずれもTBS系)がヒットした。
「出演から20年たった今でも『池袋~観てました』『木更津~大好きです』なんて言われますから。デビュー直後にそんな作品に参加させていただけるなんて、本当に、ただただ運がよかった。
『木更津~』は共演した役者が同年代だったこともあり、とにかく楽しい現場でした。木更津に行く日が待ち遠しかった。この作品で出会った(塚本)高史とはその後、僕が一人暮らししていた家で1カ月ほど一緒に住んだこともありました」
佐藤は作品と役への思い、言い換えれば「熱量」がとても高く、熱い。それを体現したのが、高校野球を通して不良生徒を更生させようと奮闘する熱血教師・川藤幸一を演じた『ROOKIES』(2008年、TBS系)だろう。
「高校3年生の冬に『週刊少年ジャンプ』で連載が始まり、第1話を読んですぐ『役者になって、川藤を演じたい!』と無謀な夢を持ちました。(原作者の)森田まさのり先生と対談する機会をいただいたときも、先生に僕の思いをすべて聞いていただきました」と笑う。
佐藤は、卒業した中学校に招かれたときに『ROOKIES』の単行本を全巻揃えてプレゼントしたそうだ。
「夢を持つことの大切さを教えてくれる作品ですから。『絶対にこれをやる』と心に決めて本気で求め続け、歩みを止めなければ、確実に夢が近づくと教えてくれました。そして、僕自身、夢を抱いたその10年後に出演が決まったんです。冷静に考えたらとんでもないことなんですけど(笑)」
しかし、その夢の実現は、新たな葛藤をもたらすことになった。
「本当に多くの方に観ていただいて、反響も大きかったのですが、僕自身は(俳優としての)実力のなさを思いっきり叩きつけられました。ドラマが終わったとき、『夢がかなった? やり切った? 何を言ってんだ、お前。自分の演技はどれだけのもんなんだ?』と自問する自分がいたんです。
『ROOKIES』に限らず、どんな作品に出ても毎回自分の足りないところに気づかされます。そういった点でも、仕事は選り好みをしないでいろんな作品に出演したほうが、得るものが多いと僕は思っています」