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さとう珠緒、点滴とカレーで乗り切ったグラドルの女王時代
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.06.22 18:00 最終更新日:2021.06.22 18:00
「このお店には高校生のときから通っているんです。だから、え~と……、えっ、もう30年も来ているんですか!? なんだかちょっと、自分でもびっくりですね」
銀座にある「ナイルレストラン」。日本最古のインド料理店といわれ、カレー好きで知らぬ者はいないという名店だ。
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「中学、高校のとき、お小遣いを貯めて都内の美味しいカレー屋さんに行くっていうのが、趣味だったんです。いろんなお店に行きましたけど、やっぱりここに戻ってくるんですよね」
二代目オーナーのG.M.ナイルさんとも長いつき合いだ。
「よく覚えてるよ。最初来たときは、まだ子供だったもんね」(ナイルさん)
高校1年生のとき、漫画誌主催のオーディションで準グランプリになったのが、芸能界入りのきっかけだった。
「少しだけ活動したんですけど、なんか違うなと思ってやめちゃったんです。それで普通の高校生活を送っていたんですけど、団塊ジュニアの世代なので、就職活動とか大変なんですよ。
どうしようと思っていたら、芸能事務所の方から連絡があって『もう一度やらないか』って。なんとなく事務所に入っちゃったんですけど、仕事もないですから、しばらく電話番とかやってましたね」
転機になったのが、『超力戦隊オーレンジャー』(1995年~1996年、テレビ朝日系)でのオーピンク役だ。
「アクションものなので、まさかと思いました。私、べつに運動ができるわけじゃないんで。オーディションは5次選考まであったんですけど、毎回『これで落ちるんだろうな』と思ってましたから。そこからですね、いろんなお仕事をいただけるようになったのは」
レギュラー番組は『出動!ミニスカポリス』(テレビ東京系)、『スーパー競馬』(フジテレビ系)、『王様のブランチ』(TBS系)、『ナンバー12・熱血サッカー宣言』(テレビ東京系)などなど……。
テレビで顔を見ない日はない、というほどの売れっ子になった。
「あのころは大変ですよ。生放送が『ブランチ』、フジの競馬(番組)2本、あとサッカー。その間にドラマが入って、あとグラビアの撮影もあったんです。当時はまだグラビアは海外に行ってましたから、よけいに大変なんですよ」
20代は「本当にフラフラになって仕事をこなしていた」と語るさとう。
その多忙な時期を支えていたのが、ここ「ナイルレストラン」だったという。
「あのころは、毎週点滴を打ってカレーを食べて、という繰り返し。私にとってカレーは “健康食” なんですよ。
当時は、わりとここから近いところに住んでいたこともあって、本当によく来ました。忙しすぎて倒れたこともあったし、ある意味 “病んでた” 時期でもあったと思います。
そんなときここへ来ると、ナイルさんがいつも声をかけてくれるんです。『昔の銀座はこうだったよ』とか、いろんなお話を聞くのがすごく楽しくて。お料理が美味しいのはもちろんですけど、ナイルさんの人柄もこのお店の魅力ですよね」
20代から30代にかけて、さまざまな変化を経験した。
「29歳のとき、初めて舞台でのお芝居をさせてもらいました。そこからですね、つき合う人、飲み友達なんかもそういう関係の人が増えてきて、ああ、こういう世界があるんだなって」
30歳を過ぎてからは、 “プンプン” でさらにブレイク。
「自分で勝手に “プンプン” ブームって呼んでるんですけどね(笑)。あの “プンプン” って、初めての舞台での、福島三郎さんという演出家の方とのやり取りで生まれたものなんですよ。
天然キャラの女のコが怒る場面で、私にとっては普通、自然で、ぶりっ子だなんて思ってなかったんですけど、何かおもしろかったんでしょうね。その “プンプン” のおかげで、バラエティ番組にもたくさん出させてもらいました。
でも私、そんなに頭がいいわけじゃないんで、うまく返しができないこともしょっちゅうで。『今日は全然ダメだったな』って、家に帰ってお酒を飲むことも多かったです」
9年前には、20年近く行動をともにした所属事務所を離れることに。
「長い間お世話になったし、今の私があるのも彼らのおかげですので、今でも感謝してます。何事も勉強ですね」