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関根勤、桂文枝師匠が命名した芸名「ラビット関根」をやめた理由

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.08.02 16:00 最終更新日:2021.08.02 16:00

関根勤、桂文枝師匠が命名した芸名「ラビット関根」をやめた理由

 

 関根勤さんの芸名に、東西を代表する大物芸人が関わっていたことをご存知でしょうか。その芸人は桂文枝師匠と萩本欽一さんです。

 

「関根勤」は本名ですが、かつては「ラビット関根」という芸名で活動していました。その「ラビット関根」と命名したのが桂文枝師匠だと、以前、関根さん本人にお聞きしました。

 

 

 関根さんは、桂文枝師匠が桂三枝だったころのラジオ番組『ヤングタウンTOKYO桂三枝の大放送』(TBSラジオ)の前説をやっていました。

 

「三枝さんが『吉本でもない他の事務所なのに、僕の番組の前説をやってくれてありがとう』と言ってくれて。僕も三枝さんも大学からお笑いの世界に入ってきたという共通点があって、かわいがってくれたの。それで僕が『実はいま、別の番組で僕の芸名を募集してるんですが、なかなかいいのが来なくて』と言ったら、「じゃあ僕がつけてあげるよ」と。その年がうさぎ年だったんで、『うさぎ年やし、君はちょっとうさぎに似てるし、ラビット関根というのはどうや』って。それで僕は面白い名前だなと思ったの」

 

 干支にちなんで命名してくれたのですが、この命名には続きがありました。

 

「もし『ラビット』が世間に浸透しなかったら、次の年は辰年だから『ドラゴン関根』で、それがダメなら『スネーク関根』。十二支やって12年間で芽が出なかったら、あきらめて他の職業に行きなさいというシャレがついてて。

 

 そしたら1年間で『ラビット関根』が定着したんで、そのまま『ラビット関根』になったの。あれね『ドラゴン関根』にしてたら大変なことになってたよ。藤波辰爾さんが僕と同じ年なの。『ドラゴン藤波』と『ドラゴン関根』で、どっちがドラゴンぽいと思う? 戦ったら絶対負けるじゃん。だからラビットでよかったよ」

 

 なんと、浸透しなければ、毎年その年の干支に改名するシステムだったのです。そこからラビット関根でしばらく活動しますが、関根さんが29歳のときに転機が訪れます。

 

「『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)に出演することになったんだけど、欽ちゃんが僕の芸風をイヤがったみたいで……。要するに欽ちゃんのお笑いのセオリーにないから、僕は。芸風が今でいう江頭(2:50)君とかだったの。それに欽どこはお茶の間の設定で、すごく家庭的な番組だったし。だから、『ラビット関根という乱暴な名前は合わないから、この番組だけでも変えてくれ。それが欽どこに出る条件だ』って。それでいい機会かなと思って、関根勤に戻しました」

 

 関根さんは、『ラビット関根』の名付け親である文枝師匠に、「本名に戻す」という報告に行きました。

 

「事情を話すと『そうか……。僕が名前をつけて売れた子は、あんまりいないんだよ』って自信をなくしてました(笑)」

 

 萩本さんは「ラビット関根」の改名を求めたとき、名付け親が文枝師匠だと知らなかったそうです。

 

「僕が本名に戻して5〜6年たって萩本さんに伝わったの。『お前、言えよ』って。萩本さんは『それを知ってたら改名を言えなかった』って(笑)。でも、結果的に普通の名前の方がいろんなことができるのでよかったです」

 

 芸歴47年めの関根さんが「結果的に普通の名前がよかった」というのですから、普通の芸名の方がいいことは間違いなさそうです。ちなみに筆者の過去の芸名は「鼻油千右衛門時定~後の~」とか「オモロー山下」とか、現在のライター名も「インタビューマン山下」など普通ではありません。今度の芸名は必ず普通にさせていただきます。

 

インタビューマン山下

1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。

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