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アキラ100%、椎名桔平の付き人からR-1優勝、映画主演へ…人生を一転させた30歳の一念発起

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.09.19 11:00 最終更新日:2023.02.07 17:03

アキラ100%、椎名桔平の付き人からR-1優勝、映画主演へ…人生を一転させた30歳の一念発起

東京・目黒「とんかつ目黒こがね」にて

 

「事務所のすぐそばにあるのでよくランチで来るのですが、僕にとってはただ美味しいだけのお店ではないんです」

 

 この日、アキラ100%と訪れたのは「とんかつ目黒こがね」。上質なパン粉でうま味を閉じ込めた、サクサクのとんかつが人気の店だ。

 

「若手芸人が出演する事務所の劇場が千川にあるんですが、『R-1グランプリ』に優勝するまでは基本、そこが本拠地で、目黒の事務所で仕事をすることなんてなかったんですよ。

 

 

 なので、目黒に来るたびに芸人として階段をひとつ上がったと感じられるというか。そんな場所で1250円のランチを食べることは、僕にとって頑張ってきた証し。これを食べて次も頑張ろうって活力が湧いてきます。

 

 ここのとんかつはやわらかくてジューシー。脂身が本当に甘く、いつもご飯をおかわりしちゃいます」

 

 2017年、ピン芸人の頂点を決める「R-1グランプリ」で、お盆を自在に操り、股間を隠す裸芸で優勝。このときから世に知られるようになった。

 

「当時は、決勝に進むなんて想像していなかったです。決勝はハードル高すぎますし、なんていったって僕は裸ですから。よく生放送で出してくれたなって思います。コンプライアンス的にすごいですよね(笑)。

 

 ここで優勝できたことでバラエティ番組をはじめ、一度は諦めていた芝居のお話をいただけたりと、いろんな世界が開きだしました」

 

■ “丸腰刑事” でやっと確固たる信念が生まれた

 

 もともとアキラは、学生時代から演劇部で、俳優を目指していた。

 

「舞台俳優に憧れて、この世界の門を叩いたのですが、こんな映画を作りたいとか自分で劇団を立ち上げる! みたいな気持ちはなく、漠然とした憧れだったので、なかなかうまくいかなかったんです」

 

 オーディションを受けてもことごとく不合格。だが、そこで知り合った芸能事務所のスタッフから「役者の勉強をしながら、事務所の手伝いをしてみないか」と声をかけられた。

 

「それがきっかけで、ありがたいことに椎名桔平さんの付き人をすることになったのです。そこで初めてテレビドラマの世界をのぞきました。

 

 想像していたのとはまったく違って、台本が届いてすぐに撮影し、翌週には放送しているみたいなスピード勝負の世界で。そういう生の現場を見て、よりリアリティを持ってこの世界にいたいという憧れが生まれてきました。

 

 ただ同時に、どうやったら(俳優に)なれるんだろうという不安も出てきて……。で、結局、先行き不透明で何もしなくなっちゃったんです」

 

 付き人をやめ、アルバイトで食いつなぐ毎日を送っていた。だが、「演じることはすごく好きだったし、やめるのは嫌だ」と、30歳にして一念発起。「もうひとつ大好きだった」という “お笑い” をするために、芸人として現在所属するソニー・ミュージックアーティスツに入った。

 

「当時はネタとかも書いたことがなかったので、3分のネタにボケが2個しかないものを作ったりして(笑)。でも、笑ってもらえなかったら自分のせいと理由がはっきりしているのはすごく気持ちがラクでした。

 

 あと、ひとつのネタを人に見られる回数が多いのもすごくよかったです。ちょっとずつ改良して仕上げていく感覚というか。それが自分に合っていて。20代のころからやっておけばよかったなと思いました」

 

 コンビでコントを中心に活動していたが、36歳のときに解散。ピン芸人になった。

 

「ピンは相方がいないのでボケでもないし、ツッコミでもないから悩みました。

 

 そんなときに芸人さんやスタッフさんがおもしろいと言ってくれたのが、裸でお盆を持つ “丸腰刑事” 。当時『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)の “山-1グランプリ” という宴会芸を見せる企画でやったのがきっかけでした。

 

 正直、お客さんの反応は賛否どちらもあったんですが、芸人さんがとにかくおもしろいって言ってくれて。僕の感覚からすると、芸人がおもしろいと言ったネタは人気になることが多いので、すごく自信がつきました。ここでやっと芸人としてやっていくという確固たる信念が生まれてきたんだと思います」

 

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