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マギー審司、師匠と初対面の日にいきなり営業で大スベリ「度胸あると慰められたけど、散々な目に」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.01.16 11:00 最終更新日:2024.06.22 09:02
「趣味のボウリング歴は17年です。昔は地方でのショーの合間にも楽しめるように、各地方のボウリング場にマイボールが置いてありました。自己ベストは、パーフェクトまであと一歩の279。仲よしのボウリング仲間で俳優の村田雄浩さんはパーフェクトを出しているので僕も早く出したいんですけどね」
マギー審司と訪れたのは京王線笹塚駅前にある「アジアンキッチン ワイガヤ」。同じビルの上階には「笹塚ボウル」がある。宮城県気仙沼市出身のマギーは、月に1回ほど東日本大震災復興チャリティボウリング大会を主催している。大会会場に笹塚ボウルをよく利用していることから「ワイガヤ」で親睦会を開くそうだ。
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「コロナ禍でチャリティ大会もしばらく中止しています。だからこちらにお邪魔するのも久しぶり。メニューが替わっていてすごく楽しみです。あ、これ美味しそうだな」
注文したのは、たっぷりの野菜の上に和牛とホルモンがタワーのように盛られた焼き肉風鍋料理。熱々を味わいながら、マギーは「マジシャン」になった理由を振り返った。
「メガネをかけた小太りの小学生でした。クラスを笑わせる存在でしたが女の子にはモテません。だからずっと、女の子に『すごい!』って言われたいと思っていました。
そんなときテレビで師匠(マギー司郎)の手品を見たんです。マジックをしている姿がおじさんだけどカッコよくて、観客の皆さんも大笑い。それで『僕もマジックをやれば女の子に……』と考えたのが、マジシャンを目指すきっかけだったと思います」
しかしその後、マジックのことをすっかり忘れていた。マギーは実家の「三浦電気店」を継ぐつもりだった。
転機になったのは高校卒業のときだ。
「父と親しかった『あさひ鮨』の社長さんが『家業を継ぐ前に日本を外から見たらどうか』とサンフランシスコにある姉妹店でのバイトを紹介してくれて渡米。料理はまったくの未経験でしたが、そこはおおらかなアメリカ、2カ月でカウンターに立ちました(笑)」
英語がままならないマギーが客とのコミュニケーションを取るために思いついたのがマジックだった。客は喜んだ。「ちゃんと手品を勉強しよう」と決意したマギーは現地のプロマジシャンから手ほどきを受け20歳で帰国した。