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堺正章の知られざる不遇時代…上沼恵美子も黒柳徹子も「やめたい」時期があった

エンタメ・アイドル 投稿日:2022.02.07 11:00FLASH編集部

堺正章の知られざる不遇時代…上沼恵美子も黒柳徹子も「やめたい」時期があった

 

 25年続いた『怪傑えみちゃんねる』(関西テレビ)が2020年に終了したことに続き、27年間放送されている長寿番組『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』(ABC)も来月終了することになった、関西の大物司会者・上沼恵美子さん。

 

 2月1日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日)にゲスト出演した際、「年も年ですし、このへんで幕を閉じてやろうかな、なんて気持ちも若干あるんです」と芸能界引退の気持ちが少なからずあることを打ち明けていました。

 

 

 その際、黒柳さんもデビューから15年目くらいの時期に芸能界引退を考えたことがあったとおっしゃっていました。

 

 順風満帆に見える大物司会者でも、引退を考えたり悩んだりすることがあるんだと、筆者は以前、堺正章さんを取材したときにも感じました。

 

 堺さんが司会の番組『NTV紅白歌のベストテン』(1969年~1981年放送)に続く『ザ・トップテン』(日本テレビ)は、足かけ17年続いた長寿番組。

 

 その番組が1986年に終了してから8年ほどは不遇の時期があり、いろいろと考えるところがあったとおっしゃっていました。

 

堺「その時期は自分でも大変だったと思う。このままダメになることもありうるし、また上がって行くこともありうる。やっぱり自分のなかで一時代を終わらせたみたいなことはあるんじゃないかな」

 

 堺さんはその時期、ある方から「あなたは司会者だから、パネラーの仕事は来ても断って、司会の仕事だけやりなさい」とアドバイスをもらい、それを受け入れたと言います。

 

 そのため毎日が暇で、ゴルフばっかりやっていました。しかし気持ち的に余裕があったわけではないと、おっしゃっていました。

 

「将来の保証なんか、なんにもないから。このまま、どういうふうになっていくのかは、神のみぞ知るで」

 

 今まで多忙だったスケジュールが急に暇になり、不安で「やっぱりパネラーもやろうかな?」という心の迷いはなかったのでしょうか。

 

「それは苦し紛れみたいになるのは嫌だから、全然やりたいとは思わなかった。あくまでもその時代の話で、今は全然やりたいけどね(笑)」

 

 その後、堺さんの気持ちに変化が現れ始めました。

 

「その当時、なぜパネラーやゲストをやらなかったかというと、進行をやるのが俺の役目で、そこにゲストとして出ていくのは俺じゃないという考え方があったんだよ。

 

 だけど、ある時点から『どこに出たって堺正章なんだから、大丈夫だ』と自分のなかで言い聞かせられるようになって、人の番組でも出ていける態勢がとれたのかな。

 

 それから『来た仕事を懸命にやるって大事なことだよ』と思い始めてからはゲストの仕事も大丈夫になった」

 

 当然と言えば当然ですが、大物司会者と言えども人の子。悩む時期はあるんですね。

 

インタビューマン山下

1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。

 

( SmartFLASH )

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