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松任谷由実 「学生にブチ切れ説教」「ド派手ハイレグ衣装」カメラマンが明かす“革新歌姫”の原点
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.09.02 06:00 最終更新日:2022.09.02 06:00
ラブ・ソングの女王は“大舞台”に立つのは意外にも遅かった―。
デビュー丸11年を迎えた’83年7月6日。当時29歳の松任谷由実(68)は、アルバム『REINCARNATION』のツアー初日に初めて日本武道館での公演をおこなう。
その3カ月後、10月28日に彼女が歌ったのは東京・渋谷の青山学院記念館。青山学院大学の学園祭「青山祭」の後夜祭コンサートだった。
「この年のユーミンは過去最高のハードスケジュールでした。2月にアルバムを出し、そのツアーをまわったあとは、夏のリゾートコンサート。12月には次のアルバム『VOYAGER』を出すことが決まっていて、この前後も徹夜で制作をおこなっていたそうです。だから、イラつくのも仕方なかったのでしょう…」
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こう話すのはカメラマンのYAHIMONときはる氏。今年デビュー50周年を迎える松任谷を42年以上撮影し続け、この「青山祭」も許可を得て、松任谷の姿をフィルムに収めていた。
「客席前方に、私語がうるさい学ラン姿の男子学生がいました。ユーミンは彼らに『ちょっとそこの人、いい加減にして。嫌なら出てってくれない?』と説教したのです。しかし、続けて彼女が『こっちも学祭の限られた予算内で、クオリティを下げずにやってるんだから…』と呟くと、その“本気宣言”に会場に詰めかけた学生たちのボルテージはいっそう上がりました」(同前)
松任谷はコンサートのダブルアンコールに登場すると、’75年にフォークグループ「バンバン」に提供して大ヒットとなった「『いちご白書』をもう一度」をセルフカバーした。歌詞に「授業」「学生集会」「就職」と出てくる、大学生の恋愛を描いた名曲だ。
ときはる氏は、このクライマックスに「伝説の青山祭」たる理由があると話す。
「観客に呼び込まれたユーミンは『じつは』と口を開きました。『私、松任谷(正隆)さんとつき合う前に、青学生とつき合ってたことがあってね。よく青学の正門前で、待ち合わせて渋谷で映画を観たり、デートしてたんですよ。そのころのことを書いた曲を歌います』と告白したんです。もしかしたら、青学生に向けたリップサービスだったのかもしれませんが、この告白によって一夜限りの“伝説のコンサート”になったんです」
バブル期に次々とヒットを飛ばし、ラジオでリスナーの相談に気軽に乗る様子から「恋愛の教祖」といわれた。自身の経験をあっけらかんと話し、元不良少女らしく素直にワガママな松任谷の原点が、この青山祭に表われている。
もうひとつ松任谷といえば、リゾートコンサート「SURF&SNOW」だ。今は冬に苗場プリンスホテルで開かれるのが定番だが、かつては夏にも逗子マリーナでおこなわれていた。こうしたコンサートも、ときはる氏は主催者の許可を得て、写真に残している。
「プールを生かし、通常のコンサートでは考えられない高さのセットの上で歌ったり、浮島から噴水とともに上昇して歌ったりと、こだわりのセットでした。プールらしくド派手なハイレグ衣装も披露していましたね。逗子での『SURF&SNOW』は、彼女が50歳のときで最後でしたが、とにかく美脚にこだわっていた。その姿勢は今も失われていないと思います」(同前)
50周年でもバリバリ活躍中のユーミン。まさに生ける伝説―。
写真・YAHIMONときはる