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堅持したアイドルとしての誇り、SKE48・古畑奈和が駆け抜けた11年間
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.09.28 16:00 最終更新日:2022.09.28 16:00
名古屋・栄を拠点とするSKE48で11年活動を続け、この度グループから卒業する古畑奈和さん。派手な髪色、ピアス…一見「アイドルらしくない」ようにも見える彼女。その裏にあった葛藤、そして葛藤から導き出した「答え」まで、ロングインタビューで解き明かす。
(取材&文・伏見 学)
2022年9月24日午後2時半、名古屋市内の日本ガイシホール――。ついに、そのときがやってきた。
場内の照明が灯り、青いドレスを身にまとったSKE48の古畑奈和さんが、ステージの真ん中でお礼の言葉を口にする。惜しみない拍手。目に涙を浮かべることもなく、終始笑顔を振りまく。凛とした佇まいと、煌びやかで麗しい姿は、最後まで観衆を魅了した。
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これは決して表層的な美しさではない。ファンへの感謝と愛情が心から込められているからこそ生まれる美しさだということが伝わってくる。
「ファンの方々のおかげで、私にとって安心できる場所ができました。きっとこの人たちは本当にずっと応援してくれるんだろうなと感じて、それがパワーになりました。迷いなくアイドルとして自分が思った道を突き進めました」
応援してくれるファンのために、古畑さんは妥協しなかった。
「手を抜かないことはずっと大事にしていました。最初のころは私のことを覚えてもらわなきゃいけなかったし、必死にやらなければキラキラと輝いて見えないはずだと思うので」
それは、この卒業コンサートでも節々に感じることができた。例えば、特技のサックスによる躍動感溢れる演奏や、SKE48の数々の楽曲で見せたキレのあるダンスなど、息つく暇もなく全力でやってのけた。
物事に対して真摯に取り組む。そして、常に高みを目指し、努力を怠らない。それが脇目も振らずに走り抜けたアイドル・古畑奈和の11年間のすべてだった。
●アイドルになる夢をからかわれて…
名古屋・栄を拠点とするSKE48の選抜常連メンバーとして活躍した古畑さんは、1996年9月15日に愛知県で生まれた。幼稚園のころには既にアイドルとしての素質を持ち合わせていた。
「フリフリのお洋服を着ながら踊る発表会とかがとても好きでした。嬉しさのあまり、お洋服を幼稚園から持ち出して、自宅でお披露目会をやって、『お父さん、お母さん、絶対に発表会に来てね。写真をいっぱい撮ってね』と言っていましたね」
人前に出て、視線を集めることに喜びを感じていた古畑さんが、テレビの中で歌って踊るアイドルに興味を抱いたのは必然だった。
「すごくキラキラしていたし、同い年とか、年下の子でも、私よりもしっかりしていてカッコいいなと思いました」
いつしかアイドルは憧れの対象から現実的な目標へと変わっていった。それを初めて公言したのは中学生のときだ。
「学校の授業で将来の夢とかを書くじゃないですか。私、そこに『アイドルになる』と書いたんですよ。そしたら同じクラスの男の子からめちゃくちゃバカにされて。『お前なんてなれるわけねーだろ』と。クラスの皆がワーっと集まってきて、『こいつ、こんな夢を持ってるんだぜ』とからかわれました」
「だったらなってやる…!」と古畑さんは心の中で発奮した。ちょうどタイミング良くSKE48のオーディションがあったため、迷わずに応募。見事に合格し、2011年10月、第5期生のメンバーとなった。
●下積みも楽しかった
いざアイドルになってみて、外から見る理想と、現実とのギャップはなかったのだろうか。これに対して古畑さんは「ない」と即答する。
実は、アイドルの世界に対するイメージを自分なりに持っていた。その“学習教材”となったのは、大好きなテレビアニメ「アイドルマスター」だった。
「ひたすらレッスンを頑張っても、挫けちゃったりする姿をアニメの中で見ていました。研究生はお仕事もないので、毎日レッスンばかり。まさにアニメと同じで、『私、アイドルやってるー!』と実感しました。ステージに立つための下積みもアイドルの一部じゃないですか。そこに苦はなく、楽しかったですね」
ただし、憧れていたステージでは、古畑さんの想像を遥かに超えるプレッシャーが待っていた。
「SKE48の先輩たちはいつも堂々として、MCは全然緊張してないし、歌声も震えていませんでした。でも、私が実際にステージに立つと、こんなにも緊張して、震えるものなんだとびっくりしました」
古畑さんの初ステージとなったのは、2011年11月26日に名古屋センチュリーホールで開催された「SKE48リクエストアワー セットリストベスト50 2011 ―ファンそれぞれの神曲たち―」での5期生お披露目のときだった。
「客席の一番前にいる人の顔すら見えないくらい、モヤがかかっている状態でした。それくらい緊張して。サイリウムだけが見えていて、あとは全部真っ白みたいな」
●練習の虫に、その努力は身を結んだ
けれども、デビューから半年ほど経つと、ある程度の自信と余裕を持ってステージに立てるようになっていた。なぜか。古畑さんは練習の虫になって、緊張という課題を克服したのだった。
「劇場公演のために毎日練習していました。公演当日の朝も2回くらい通して家で練習してから行ったり。陰で努力すれば、安心して本番のステージに立てるはずだと信じて。たくさん練習した分、あまり緊張はしなくなり、ステージにも慣れることができました」
それに伴って、苦手としていたダンスについてもファンから褒められるようになった。これも古畑さんの大きな自信になった。
「裏で頑張って練習したことが認めてもらえたような気がして。自分は間違っていなかったのかなと」
それに慢心することなく、古畑さんは今でも日々の鍛錬は欠かさない。公演のときは一番に劇場へ入り、一回踊ってからリハーサル、そして本番に臨む。
練習量については他のメンバーの誰にも負けないのではと問うと、古畑さんは慌てて手を振る。
「いや、違うんですよ。私は本当に覚えが悪くて……。あと、今もまだ緊張しちゃうんですよ。だから自分が安心するためにやっているだけで。要領がいい子だと、練習時間を短縮できるし、その分、違うことに割けるし。それが本当はいいんだと思います」
そう話す古畑さんだが、これは照れ隠しもあるだろう。古畑さんが努力の人だという他のメンバーからの証言も少なくないからだ。
●ファンに負担をかけてはいけない
練習を欠かさないこととともに、古畑さんがアイドルとして守り続けたのは「プロ意識」だ。
「SKE48に入ってすぐ、ダンスの先生と、当時のマネージャーさんから、ここは中学校や小学校じゃないからね、部活でもないからね、と厳しく言われました。また、ファンの方はお金を払って、皆のことをアイドルという職業の人として観にきていることを意識すべきだと徹底的に叩き込まれました」
とはいえ、当時はまだ10代半ば。仕事上でのコミュニケーションの仕方などもわからない。こんな失敗談があったと古畑さんは明かす。
「先輩が『OKです!』と軽い感じでマネージャーさんに返事していたから、ここではそうやればいいんだと思っちゃって、私も『OKでーす』と言ったら、泣かされるまでガチボコに怒られて…。そこから上下関係というものを学び、一社会人として、しっかりとご指導していただきました」
そうした日常の立ち振る舞いだけでなく、上述したように、練習や本番で決して手を抜かないことにも努めた。さらには、表現や歌唱などの面でより高いレベルを追求した。ただし、それは時としてやり過ぎてしまうこともあった。
「こだわりが強くて終わりがないというか。自分でもそれがたまにストレスになったりするんですけど、理想だけは一丁前に高くて。でも、理想にどうしても届かなくて、終われずにやり続けてしまいます」
しかし、その向上心があったからこそ、とりわけ古畑さんの表現力は唯一無二の強みになり、今では多くの人たちに評価されていることは間違いない。
もう一つ、古畑さんがポリシーとして掲げる「ファンに悲しい顔を見せない」という点もプロ意識の表れだろう。
「プライベートなこととか、誰かが傷ついちゃうこととかは言わないようにしています。やっぱり、ファンの皆さんは少なからず癒しを求めてくれていると思うんですよ。そこに私が心配させる雰囲気を出していたら、負担になるじゃないですか。それはアイドルとしてどうなんだろうと。だから他人を悲しませたり、心配させてしまったりするような表情や言動はしないと心に誓いました」
後編へ続く―。
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