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小倉久寛 僕が人に誇れる唯一の才能は「三宅裕司を見つけたこと」44年前、“この人と一緒にやりたい”と思った

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.10.09 11:00 最終更新日:2022.10.09 14:10

小倉久寛 僕が人に誇れる唯一の才能は「三宅裕司を見つけたこと」44年前、“この人と一緒にやりたい”と思った

小倉久寛

 

 東京・世田谷の大通りから少し脇に入った所にある「酒の高橋」。創業61年のこの店を見て「懐かしいなぁ~」と語るのは俳優小倉久寛

 

「30年くらい前に、このお店の目の前に僕が所属している劇団スーパー・エキセントリック・シアター(以下、SET)の稽古場があったんですよ。公演1カ月前くらいから稽古場にこもりっきりになるのですが、そのときは毎日のように飲みに行ってました。実家みたいな場所です」

 

 

「最近は来られなかった」と言う小倉は、82歳になるママと久しぶりに再会すると笑顔。

 

「何もかもが変わらない。それこそ三宅(裕司)さんや、劇団員だった岸谷(五朗)や寺脇(康文)もよく来ていました。今思うと豪華メンバー。なんの話をしていたか覚えていないけど、演劇論みたいなことは一切せず、バカバカしい話ばかりしていた気がします」

 

 三宅裕司が主宰するSETの看板俳優であり、今ではドラマ舞台名脇役として欠かすことのできない存在の小倉だが、中村雅俊の青春ドラマ『俺たちの祭』(1977年、日本テレビ)と出合うまでは、俳優になることは考えたこともなかった。

 

「真面目な大学生でもなくオイルショックもあって、就職ができなかったので、どうしようかなと思っているときにドラマを観て。演劇青年の話だったんですが、その主人公たちがすごく楽しそうに見えたんです。いろいろ悩んでいるけど、稽古をやって飲みに行ってという日常が青春している感じで。そこでやってみようかと思い、演劇の世界に飛び込みました」

 

 演劇について何もわからない小倉が観に行ったのが劇団「大江戸新喜劇」の旗揚げ公演。そこで運命的な出会いを果たす。

 

「主演してたのが三宅裕司。めちゃくちゃおもしろくて客席の空気を支配していました。当時は全然売れていなかったのですが、“この人と一緒にやりたい”と思ったくらい。僕に才能はないけど唯一あったのは、『三宅裕司を見つけたこと』と。それがまさにこの瞬間でした」

 

 とはいえ元来の性格は恥ずかしがり屋。人前で台詞を言うどころか、大声を出すこともできなかった。

 

「緊張は今でもします。舞台に立って客席を見るのが本当に苦手。正面を向いて芝居をするときは、目だけ違う方向を向いています(笑)。でも、裏方にいきたいとは思わなかったんですよね。やっぱり演じることが好きだったんだと思います」

 

 楽しそうという思いから始めた俳優生活。SETの旗揚げメンバーとして活躍するも、20代のころは芝居のみでは食べていけずバイト生活。ガス管の導管図を書く仕事をしていた。

 

「工事した人が上げてくる図面を見てどこにガス管があるのか記していく仕事で。細かいのですがコツコツやるのが性格的にもすごく向いていました。正社員にならないかと言われたりしていましたし」

 

 だが、俳優をやめるという選択肢はなかった。

 

「真剣に将来のことを考えたほうがいいだろうなくらいはありましたが、なんとなくここまできました。どうしても俳優で成功したいというアツい思いがあったわけでもなく、本当にボーッとしていて(笑)。もちろん三宅さんと一緒に芝居をする魅力はありましたが、僕は自分の生活を変えることがすごく嫌いで。それも理由のひとつだったと思います」

 

 小倉は、冒険するより今いるところを自分で居心地のいい場所に変えていくことが好きなタイプと自己分析。

 

「そういう意味でもSETはすごくいいお城でした。それは今も変わらない。いつでも帰れる、実家のような存在です。居心地が最高ですから」

 

 小倉が唯一環境を変えたのが結婚。元宝塚歌劇団の女優だった速水渓さんに100回プロポーズをしたという逸話も。

 

「生活が変わるのが嫌いな自分がそれを超えて行動したということは、それほど好きだったんでしょうね。まあ僕を好きになって結婚してくれるという状況はほとんどないので、このチャンスを逃しちゃいけないという気持ちもあったのかも。妻と初めてお酒を飲んだのもこのお店です。思い出の場所なんですよ」

 

 三宅が『ヤングパラダイス』(ニッポン放送)でラジオDJとしてブレイクすると、劇団も若者を中心に大人気に。小倉もテレビに呼ばれることが増え、人気者になっていく。

 

「徐々にですが俳優の仕事が増えてきて。そのときにひょっとしたらこのまま俳優としてできるのかな? と思ったくらい。ただやっぱりお芝居するのが楽しいんですよ。そして舞台でお客さんに笑ってもらったり拍手をもらえると、たまらなく嬉しい。それが続けている理由だと思います」

 

 小倉にとって最高の居場所、SETは結成して43年。2022年10月には、第60回記念本公演を開催する。

 

「結成したばかりのころは、この年になるまで同じようなことをしているなんて考えてもいなかった。SETは時代に合わせつつも、歌ったり踊ったりアクションするのは相変わらず。今回は音楽がテーマですが、コメディなので笑ってそしてちょっとホロッとできるお芝居になっていると思います」

 

 ここまで続いたのにはやはり三宅の手腕があると小倉。

 

「あらためてすごいと感じたのはコロナ禍真っ只中だった2020年10月公演のとき。ほかの舞台は次々に延期となったなか、『今やらなきゃ意味がない』と開催することにしたんです。すでにできていた台本をガラリと変え、コロナに対応したうえでSETらしい内容になっていて。あの台本を読んだときは感激しました」

 

 出会って44年。なくてはならない存在になっている2人。

 

「『三宅裕司を見つけたことが僕の褒められるところです』と本人に向かって言ったことがあるんです。そのときに言われた『何言ってんだ、俺がお前を見つけたんだぞ』という言葉は忘れられないですね。今後も変わらず一緒にやっていきたいですが、問題なのは体力。それなりに年をとってきましたから。それでもそれなりに動けるようにして、三宅さんが『やるよ!』と言ったらいつでもできる状態にしておきたいです」

 

 最近は、俳優としての仕事以外でナレーションでも活躍中だ。その優しい語り口が人気を呼んでいる。

 

「ナレーションはすごく合っている気がします。以前誰かが『ナレーションは画竜点睛だ』と言っていましたが本当にそのとおりで。番組の世界を少し彩るそんな存在が好きです。これからも自分なりのペースでやっていきたいです」

 

 劇団という城を守りつつ、居心地のいい場所を作り続けている。自分らしく活躍する姿に注目だ。

 

おぐらひさひろ
1954年10月26日生まれ 三重県出身 1979年に三宅裕司率いる劇団スーパー・エキセントリック・シアターの旗揚げに参加。1980年代からテレビ出演が増え、1986年に『ヤングスタジオ101』(NHK)の司会に抜擢され人気者に。舞台を中心に映画、ドラマ、バラエティ、ナレーターとしても活動している

 

【酒の高橋】
住所/東京都世田谷区世田谷3-1-26
営業時間/17:00~21:00
定休日/土曜、日曜

 

写真・木村哲夫

( 週刊FLASH 2022年10月18日・25日合併号 )

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