担当マネージャーが語る人気ぶり
「原宿で暴動が起きたのかと」
当時の担当マネージャーであり、『高橋良明WebSite』の管理人・池田秀一さんも、思い出を語ってくれた。
「原宿中の人が気づいたんじゃないかって思うほど、たくさんの人が追っかけてきたんです。原宿のムラサキスポーツ前で、暴動が起こったような騒ぎになってしまいました」
中学卒業後は、明大中野高校へ入学。
「芸能活動のできる明大中野に行ったけど、頭は弱いのよ(笑)。でもね、芸能界に入る前の小学生の時は、算数でも国語でも90点以下を取ったことなかった。役者を始めてから成績が急降下して、オール1だったことも(笑)。だって、学校行ってないんだもの。算数が得意だったのは、うちは商売(鮮魚店)をやっていて、良明は小さい頃からお店を手伝っていたから、お釣りの計算で暗算が鍛えられていたのね」(凉子さん)
地頭の良さは、仕事にも活かされていたと池田さんは言う。
「人の名前を忘れないんですよね。仕事先で名刺交換をしても僕は忘れちゃうのに、良明はもらってないのにしっかり名前を覚えてるんですよ」。
1987年には『オヨビでない奴!』(TBS)で連ドラ初主演。植木等、所ジョージと共演し、後継者とも目された。89年にはNHK大河ドラマ『春日局』に出演。まさに順風満帆だった。
「春日局のときは、長いセリフがあってねえ。『お母さん、相手役やって』っていうから、私が佐久間良子さんのセリフを一緒に練習したのよ。亡くなってからドラマの打ち上げで佐久間さんに会ったとき、どっかの飲み屋さんかな。その時のプロデューサーさんが『良明のお母さんですよ』って紹介してくれて。そしたら、すごい大泣きしちゃってね。自分の子供も同じくらいの年だったから、接し方を良明に聞いてたって。先輩から可愛がられてたわね」(涼子さん)
家族との仲が良く、横浜市の実家に住んでいた良明は、ロケ先などから必ず電話を入れていたという。
「ロケ先に着いたら電話、帰るときも電話。それは必ずでしたね。嫌なこともあったらしくて、共演者の大物俳優がセリフ間違っちゃうと、何度も注意できないじゃないですか。そうすると、あるプロテューサーは良明に当たるらしいんですよ。『僕の顔に台本を投げてくるんだ』って。電話してきて泣いてるから、聞いたらそういうことがあったって。それをやられて黙って帰ってくるアンタのほうが大人なんだから、その人は子供なのよって言いましたね」(涼子さん)
( SmartFLASH )