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中村芝翫は「自分とリンク」、滝田栄は「手がかりがない」演じた俳優が語る“新大河ドラマの主人公・徳川家康”の人物像
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.12.31 06:00 最終更新日:2022.12.31 12:32
江戸幕府を開いた男は、半ベソになりながら乱世を必死でサバイブした頼りないプリンスだった、という新しい解釈で描く、古沢良太脚本の大河ドラマ『どうする家康』。この新しい徳川家康像に、これまで “大河” で家康を演じた名優の証言で迫る。
■私が演じた家康(1)――八代目 中村芝翫
「家康は失敗も裏切りもプラスに変えていく性格だったと思います」
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歌舞伎の舞台はもとより映像作品でもほとんどの戦国武将を演じさせていただきました。信長、秀吉……私はやはり家康がいちばん好きな人物です。子供のころは人質同然に養子に出され、そこから「我慢に我慢を重ねた人生、マグマにマグマを積み重ねた人生だった」と思います。
ドラマ撮影で思い出されるのは、「三方ヶ原の戦い」です。家康役の私は暗闇の中に飛び込み、見えない敵から飛んでくる石つぶての恐怖というのを初めて体験しました。戦は負けますが、この屈辱的な敗戦がなかったら天下人になることはなく、徳川長期政権もあり得なかったと思います。家康は失敗も裏切りもプラスに変えていく性格だったようです。そうでなければ「江戸の広大な湿地帯をお前の領地にくれてやる」と言われてもありがたがらないですよね。
家康が好きなもうひとつの理由ですが、演じながら自分の置かれた “今” とリンクさせていたのかもしれません。
私の先輩には義兄の十八代目中村勘三郎、そして勘三郎兄さんと同じ年で仲がいい十代目坂東三津五郎がいました。まさに信長、秀吉。私は「家康になろう」と思ったのかもしれません(笑)。
今度の大河ドラマでは松本潤さんが家康を演じますが、松本さんもアイドルが群雄割拠するジャニーズという戦国を生き抜いています。彼の思いが家康にシンクロして、新たな解釈なども出てきておもしろくなると思います。期待しています。
■私が演じた家康(2)――滝田 栄
「利他の精神を持ち『失敗こそ最高なる学び』だと考える反省の人」
役をいただいたときは家康という人物がほとんどわからず、演じることが不安になりました。そんなことは初めてでした。信長、秀吉、信玄の生きる動機、戦う動機は手に取るようにわかりますが、沈思黙考だった家康には手がかりがない。私は家康が今川家の人質時代に過ごした臨済寺に赴き「家康はここで何を学んだのか」を探りました。
臨済寺は厳格な禅寺なので贅沢や華美を排除した清貧な生活を送ります。このことが家康の人間性に大きく影響したと思います。
「お百姓さんが野菜を作り、お寺に喜捨してくださり、それを賄いさんが自分の時間を割いて料理してくれる」と食事のたびに考え、他人を思う利他の精神が培われたのではないでしょうか。
また「失敗こそ最高なる学び」ととらえる反省の人でもありました。戦に負ければ何が足りないのかを反省し、思慮の浅さを悔いました。さらに「勝ちすぎてはいけない。憎しみを生むだけだ」と戒め、優秀な武将は助命して配下にしました。家康は艱難辛苦の人生でしたが、戦国の世を終わらせるために生を受けた人なのではないでしょうか。
なかむらしかん
1965年8月31日生まれ 屋号成駒屋。七代目中村芝翫の次男。1970年、『柳影澤蛍火』で初舞台。1980年、三代目中村橋之助襲名。時代物、世話物、新歌舞伎、舞踏で数々の当たり役を持つ。NHK大河ドラマ『武田信玄』(1988年)で家康、『毛利元就』(1997年)で主演の毛利元就役を務めた。2011年、日本芸術院賞
たきたさかえ
1950年生まれ 文学座養成所から劇団四季を経て独立。『草燃える』『マリコ』など多数のテレビドラマに出演。『料理バンザイ』では司会を20年、舞台『レ・ミゼラブル』ではジャン・バルジャンを初演より14年務めた。仏像制作、仏教研究、講演、執筆活動もおこなっている