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ロック葬に長蛇の列…鮎川誠さんが45年愛したギブソン「黒いレスポール」秘話

エンタメ・アイドル 投稿日:2023.02.06 18:27FLASH編集部

ロック葬に長蛇の列…鮎川誠さんが45年愛したギブソン「黒いレスポール」秘話

ダリアやバラ、バルーンで彩られた祭壇

 

「お父さんは、最後まで『死ぬまでロックする』って言ってたんですけど、本当にそのとおりになったと思います。ファンの方々に応援していただいて、シーナ&ロケッツのことが大好きで応援していただいたので、本当に感謝しています」(長女・陽子さんの言葉)

 

 快晴に恵まれた2月4日(土)。1月29日に膵臓がんで亡くなった『シーナ&ロケッツ』のギタリスト鮎川誠さん(享年74)の「ロック葬」が、都内の葬儀場で営まれた。

 

 

 会場にはシーナ&ロケッツの楽曲のほか、生前の鮎川さんがセレクトしたチャック・ベリーやボ・ディドリーなどの洋楽ナンバーが終始流れ、革ジャンやグラサン姿の参列者も多数詰めかける、まさにロック葬にふさわしい空間となった。

 

 16時からは業界関係者が参列。柄本明(74)、石橋凌(66)、小室哲哉(64)、浜崎貴司(57)、Zeebra(51)、浅野忠信(49)ら、ロックの枠に限らない約900名の業界関係者が参列。

 

 17時からは一般参列になったが、受付終了の20時になっても参列希望者の列は途切れず、入るまで2時間近く並んだファンもいたほど。慰問客は最終的に4000人以上に達し、「気さくで誰に対してもやさしかった」という鮎川さんの人柄が偲ばれた。

 

 日本を代表するロックギタリストの1人とされる鮎川さん。しかし、世代的に功績をよく知らないという読者も少なくないはず。鮎川さんは何がすごかったのか? ギター雑誌『ヤング・ギター』等で執筆する音楽ライターの尾谷幸憲氏に話を聞いた。

 

「鮎川誠さんは日本にロックンロールを定着させた立役者の一人です。ロックはそもそも海外から輸入された音楽ジャンルで、その元祖はイギリス出身のビートルズやローリング・ストーンズだと思われがちです。

 

 しかし、彼らにもルーツがあり、その多くは1950~60年代のアメリカのブルースやソウルなどのブラック・ミュージックでした。

 

 鮎川さんはそのルーツも踏まえた上で、さまざまな楽曲を制作し、日本に『本物のロック』を伝え続けた数少ないミュージシャンの1人だったと言えます」

 

 鮎川さんが地元・福岡を拠点に活動していたバンド『サンハウス』でデビューした1970年代、彼が奏でるロックンロール色全開のギターサウンドは革新的だった。

 

「鮎川さんが登場する前の1960年代にも、寺内タケシさん、加山雄三さんなどエレキギターを弾く人はいらっしゃいましたし、演歌や歌謡曲に合わせたギター・サウンドも存在していました。

 

 しかし、欧米の本物のロックンローラーたちのフレーズを、現地のミュージシャンのようなタイム感で弾く日本人は少なかった。

 

 そもそも、当時は今のようにYouTubeもないし、テレビ録画もできず、ロック・ギターの教則本もほとんど存在していなかった。そんな時代にロックンロール特有のギター・テクニックを身につけるのは相当難しかったはず。

 

 一般人には想像できないほどロックとギターにのめり込み、それを血肉として日本人にしか作り得ないオリジナルのロックを生み出しました」(同)

 

 1978年に上京。妻のシーナをボーカルに迎え、「シーナ&ロケッツ」を結成。日本航空のCMソングにもなったシングル『ユー・メイ・ドリーム』のヒットもあり、ブレイクを果たす。

 

 そんな鮎川さんのシンボルマークが、「ブラックビューティー」と呼ばれ、彼が生涯メインギターとして弾き続けた1969年製ギブソンの黒いレスポール・カスタムだ。

 

 布袋寅泰は、鮎川さんの訃報を知り、1月31日に《鮎川さんのご冥福をお祈りします。黒のレスポールを弾けなかったのは、鮎川さんがあまりにもカッコ良すぎたからです。天国でもずっとロックンロール・ミュージックを楽しんでください。ありがとうございました。》とツイートしたが、それほど、黒のレスポールといえば鮎川誠というのがロックファンの共通認識だった。

 

「鮎川さんは、上京するとき、地元の友人からギブソンを譲り受けたそうです。ブレイクしてからもそのギターを10年、20年と弾き続けていくなかで、ついに調子が悪くなってきた。

 

 それで、スペアとして同型の黒いレスポール・カスタムを購入したそうですが、『同じ音が出ない』ということで、結局、元のブラックビューティーで45年間、プレイし続けたんです。

 

 鮎川さんの汗と魂が染み込んだあのブラックビューティーは、シーナ&ロケッツの “メンバーの1人” とも言われていたほどです」(同)

 

 尾谷氏は、多くのファンに愛された気さくな人柄を振り返る。

 

「2000年代の前半、都内のライブハウスで鮎川さんのプレイを拝見しました。ライブの後、たまたま横を通りがかった鮎川さんに『最高のサウンドでした!』と声をかけたら、笑顔で『ありがとう!』と言いながら肩をポンと叩いてくれて。いろいろな人が証言していますが、誰に対しても分けへだてなく接する方でした」

 

 昨年5月に膵臓がんが発覚。医師から「余命5カ月ほど」と宣告されてからもステージに立ち続けた鮎川さん。11月の大阪のライブでは、ラストの曲直前のMCで、こんな言葉を残していた。

 

「天国に行った人は天国でロックしよるし、地上におるもんはちょっとの間でももったいない、その時間、全部ロックにつぎ込もうぜ!」

 

 最後の最後までブレることなく、見事にロックに捧げた生涯だった。

( SmartFLASH )

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