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【どうする家康】有村架純=瀬名の最期に「涙が止まらない」の大反響 菩提寺の住職は「新しい人物像でうれしい」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2023.07.03 21:45 最終更新日:2023.07.03 21:45
7月2日、NHK大河ドラマ『どうする家康』第25回「はるかに遠い夢」が放送された。敵である武田方と通じ、“慈愛の国”という壮大な計画を進めていた家康(松本潤)の妻・瀬名(有村架純)。しかし策略が信長(岡田准一)の耳にも入り、瀬名は嫡男・信康とともにその責めを負うことに――。
悲劇的な瀬名の最期に、SNSでは
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《見終わった後も込み上げて来る涙が止まらない》
《瀬名(有村架純さん)を失った来週から、どうすればいいというんだ…。瀬名ロスにもほどがある》
など、大きな反響が巻き起こっている。これまで「悪女」として描かれることの多かった女性だが
《これまでの築山殿のイメージを大きく覆す瀬名様をありがとうございました!!》
との声も少なくない。
その瀬名=築山御前が眠るのは、曹洞宗のお寺「西来院(せいらいいん)」(静岡県浜松市中区)。その一角に、築山御前の廟堂「月窟廟」はある。西来院の住職に、話をうかがうことができた。
「築山御前が殺害されたのは、佐鳴湖畔の冨塚とされています。こちらから1.5kmほど離れた場所です。しるし(首)は信長に届けるために運ばれ、岡崎で葬られることになりました。岡崎には築山御前の首塚があります。体のほうは、家康の命で、こちらに運ばれ、埋葬されました。当院と徳川家、井伊家のつながりは深く、家康は御前のために、非常に豪華な霊廟を建てたと伝わっています」
不仲だったといわれる家康と築山御前だが、この話からはまた違った印象を受ける。
「家康の死後、御前の霊廟も荒れていましたが、四代将軍・家綱の時代に、百回忌に合わせ、立派な霊廟が建てられ、法名は『清池院殿潭月秋天大禅定法尼』とあらためられました。この霊廟は残念ながら、昭和20(1945)年の空襲で焼けてしまいます。浜松はヤマハなど、軍需工場が多かったため、空襲の数は日本でもっとも多かったとされています。現在の霊廟は、四百回忌に合わせ、昭和52(1977)年に再建したものです」
ドラマの影響もあり、築山御前の霊廟を訪れる人は、日々、絶えないという。
「私もドラマを拝見しています。これまでとは違った、新しい人物像の築山御前で、こちらとしてはうれしい気持ちです。かつて作家の山岡荘八さんが、小説『徳川家康』を書くために、何度も当時の住職に話を聞きに来ていました。小説では、築山御前が徹底的に悪女として描かれていますが、住職は、築山御前が悪い人ではないという話も残っている、と説明していたそうです。山岡さんは『昔の資料には悪いことしか書いていないので』と言い訳をしたらしいですが(笑)」
歴史認識は、時代とともに変化することも多い。今回の大河ドラマで、新しい“築山御前像”が誕生したといえそうだ。
( SmartFLASH )