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安井順平、バイプレイヤーの原点「お笑いを選択したあのころを肯定できるから今がある」

エンタメ・アイドル 投稿日:2023.09.10 11:00FLASH編集部

安井順平、バイプレイヤーの原点「お笑いを選択したあのころを肯定できるから今がある」

安井順平

 

「直久、懐かしいな~。いただきます」

 

 湯気が立つどんぶりからスープをレンゲでひと口飲むと、一気に麺をすする。安井順平にとって、「麺処直久」を訪れるのは、約27年ぶりとなる。

 

「叔父が経営していた会社が、(JR新橋駅前の)京浜百貨店の店頭にワゴンを出してカバンや500円の小銭入れ、老眼鏡なんかを売っていたんです。僕が専門学校に通っていたころ、そこでバイトをしていましてね。叔父に『順平、昼飯行くぞ』と連れて行ってもらったのが直久。当時、僕はメンマを食わず嫌いしてて “この店、メンマ臭しかしない!” というのが最初の印象でした」

 

 

 マイナスの出会いだったが、食べてみるとすこぶる美味しかった。

 

「いつの間にかメンマ臭たっぷりのスープも癖になっちゃって、休憩中はほぼ直久にいました。値段が安かったのも学生にはありがたくて、『直久らーめん大盛り』(※現在は、「純鶏らーめん 醤油」にリニューアルしている)が定番でした。当時よりは少し味がこってりした感じがしますが、やっぱり美味しいですね」

 

 番組に忖度できないしたくない

 

 人を笑わせることが好きで、専門学校を卒業するころにはお笑い芸人を志していた。

 

「口八丁手八丁でとにかく小銭入れや老眼鏡を売っていました。お客さんに話しかけるまでの空気や間、距離感を養った気がします。おかげで何年も売れなかった2万円以上する店でいちばん高額の本革カバンを売ったんです。このときのお客さんとの押し引きの攻防は長い戦いになりました」

 

 専門学校では、お笑いが好きなメンバーで集まり、学園祭でネタを作って披露もした。同期にはビビる大木がいて、相方も見つけた。現在の事務所に入り、1995年にお笑いコンビ「アクシャン」としてデビュー。2002年からはピン芸人として活動を始めた。当時のテレビは、ショートネタが大ブームだった。

 

「僕のコントは演劇的というか、これでもかというぐらい最初の笑いまでにフリをしっかり入れて、そこからちょっとずつおもしろい展開へと繋げていく。一個の “おもしろいこと” をどれだけ膨らませられるかが、僕の好きな笑いだったんです。ネタ見せに行った際に、『ネタはおもしろいんだけど、笑いを取るまでもう少し短くできる?』と言われることが多くて。でも、僕はフリを短くすればするほど笑いの返りが薄くなるのが怖くて番組に忖度できませんでした」

 

 そんなとき、劇団イキウメから舞台『散歩する侵略者』の客演の声がかかる。

 

「台本を読ませてもらったら、信じられないぐらいおもしろかったんですよ。公演が終わったときには、“また出たいな” という気持ちが芽生えていました。演劇って、たとえばSFで2時間の舞台だったら、日常から始まって “何かがおかしいぞ” と不穏になっていくまでに1時間でもフリが入れられるんです。笑いを取る、取らないの差はあれど、この演劇の芸風が僕と合致していました」

 

 とはいえ、演劇の楽しさを感じながらも「戻るところはお笑いだ」と思っていた。2007年に「NHK新人演芸大賞」で決勝に進んだことで、その思いを強くした。

 

「結局、優勝はできず、落ち込みました。こういうブレが演劇に対して失礼なんじゃないかと思うようになってきて、2009年ぐらいからお笑いの仕事を一度、覚悟を決めて全部やめることにしたんです。

 

 中途半端な二足の草鞋はお笑いにも俳優にも失礼だし、どっちもうまくいかなくなると思った」

( 週刊FLASH 2023年9月19日号 )

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