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ねずみっ子クラブ・宮澤寿梨、介護ヘルパー転身から芸能界復帰…きっかけは『ギンガマン』ファンの涙【1990年代アイドルのいま】

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2024.03.17 06:00 最終更新日:2024.03.17 06:00

ねずみっ子クラブ・宮澤寿梨、介護ヘルパー転身から芸能界復帰…きっかけは『ギンガマン』ファンの涙【1990年代アイドルのいま】

2024年3月には、6年ぶりに舞台に復帰(写真・福田ヨシツグ)

 

“アイドル冬の時代” といわれた平成初期に熱く輝き、今の坂道シリーズ、AKB48に続くレールを敷いた「1990年代アイドルグループ」人気メンバーと再会!

 

 宮澤寿梨が、1993年に『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ系、1991~2001年)の「セクシー小学生コンテスト」でデビューした当時、小学校6年生だった。

 

「母が応募したのがきっかけなんです。オーディションの日がちょうど小学校の修学旅行で、書類選考だけで番組に出ることに。いきなり生田スタジオで収録でした。家族総出で、行きましたよ(笑)。

 

 

 当時は芸能人になろうなんて思ってもいなかったので……長野の田舎出身ですし、ホントにド素人がいきなりテレビに出たんですから、おかしいですよね(笑)」

 

 結成されたねずみっ子クラブは人気となり、番組内ではドラマも放送された。

 

「ねずみっ子のなかでは、最年長でした。(仲根)かすみが2個下くらいで、双子の(伊藤)なつ・かながいちばん下の2年生。ドラマでは私は21歳のOLの役でした。思いを寄せる上司の役は渡辺裕之さんで、主題歌は今井美樹さん。今思えばすごく豪華なキャスティングなのに、私は最近まで、すっかり忘れていたんです(笑)」

 

 13歳でねずみっ子が解散。本格的な芸能活動を始めた。

 

 1998年、高3で『星獣戦隊ギンガマン』(テレビ朝日系)のギンガピンクを演じた。

 

「ただ、当時は戦隊に関してはやりたい、という気持ちはゼロでした(笑)。どちらかというと連ドラとか朝ドラに出たかったんです。まわりの同世代の役者さんとか、オーディションでよく会ってた人たちから、置いていかれるような気がしていました」

 

 女優業や、パチスロ関連の仕事も順調だったが、2008年に芸能活動を休止する。

 

「脳梗塞で倒れた故郷の祖母の介護のためだったんですけど、私も小さいころから芸能界しか知らないので、違う仕事や経験をしてみたかったんです。介護ヘルパー2級(当時)を取得し、事務所もやめて一般人になりました」

 

 そうして10年くらいがたった後、久しぶりに戦隊モノのイベントに出たことが転機になった。

 

「『ギンガマン』の放送当時は子供だった、大人になったファンの皆さんが泣いて喜んでくれたんです。勝手にやめて、好き勝手してきた私なのに、こんなに喜んでくれるんだって。

 

 同じ時期に、今の所属事務所がやっている舞台からもオファーをいただいて、芸能界に復帰しました。若いころは、“イヤなことでも頑張ろう” って思いで芸能活動をしていましたけど、今は完全に好きなことだけやってる感じ。楽しいです!」

 

みやざわじゅり
1980年生まれ 長野県出身 3月10日には、『死してなお、お母さんの…』で、6年ぶりに舞台に出演した。ドラマに出演するほか、レインボータウンFM『きらきらジョイフルTIME』でメインMCを担当

( 週刊FLASH 2024年3月26日・4月2日合併号 )

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