1999年3月、NHKがスタートさせたお笑い番組『爆笑オンエアバトル』(オンバト)。
芸人たちがネタを披露し、観覧客100人が「オンエアしてもいい」と思えばボールを1個投票。芸人の人気や芸歴に関係なく、得票数上位に入らないとネタが放映されない(オフエア)という「史上最もシビアなお笑い番組」(番組キャッチコピー)だった。
放送開始当時は、お笑い“冬の時代”。芸人がネタで競う全国レギュラー番組は、『オンバト』しかなかった。
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数度のリニューアルを経て2014年まで続いた『オンバト』には、計907組の芸人が出場し、オンエアを果たしたのはこのうち462組に絞られた。
今回は、2010年4月に『オンバト+』にリニューアルされる前の“最盛期”に活躍したコンビを直撃。25年後の真実を語ってもらった!
「あんまりいい思い出がないんです。『オンバト』には、苦しかった記憶しかない」
マシンガンズ(オンエア4回/出場8回)の滝沢秀一が顔をしかめた。
滝沢「ダブルツッコミのスタイルができるまで、マシンガンズはずっと苦戦していたんです。『オンバト』は、ちょうどその時期と重なるんです」
西堀亮の記憶も苦い。
「あれだけスベることって、もうないんじゃないかなあ。笑いがまったくないなかで、相棒を叩く“パーンッ”って音だけが、会場に響いてた」
滝沢「もちろん、オンエアされてません。それに、負けた芸人からコメント取るんだもんな。ガチすぎて、はたしてこれは芸人にとってプラスなのかって。残酷な番組でしたよね」
マシンガンズの結成は、番組開始の1年前、1998年だ。
西堀「Uーturnさん(0回/1回)も落ちたと聞いて、到底俺らが出られる番組じゃないなと。でも、3、4年たつと同期くらいの芸人がちょろちょろ出始めたんですよ」
滝沢「流れ星☆(20回/20回)とか磁石、キャン×キャン(22回/26回)とかね。自分たちに何が合うのかわからなかった時期に、まわりの仲間が活躍している焦りはすごかったですね。でも、俺らはそれに目を背けて、オードリー(4回/11回)とかナイツ(3回/10回)とか、万人受けしない芸人とライブをやってました」
マシンガンズは2004年と2005年にようやく『オンバト』に出場するが、オフエア。2008年に、オンエアを勝ち取る。
滝沢「アンケート用紙を、束でスタッフが持ってくるんですけど、『つかみが弱いんじゃないか』って17歳の女子高生とかが書いているんですよ。いやー、俺はもう分析なんかしなかったですね。『何言ってんだ、コイツは』って思ってました(笑)」
西堀「その後、『Yahoo!知恵袋』を『バカが質問してバカが答える』とネタにしたけど、出た当初は『生意気だな』くらいにしか思っていなかった。それくらい、ふつうの漫才をしてたんです」
滝沢「やっとオンエアされたのは、『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系、2007~2014年)で、最後に『流せ!』って叫んでウケるようになったころじゃなかったかなあ」
西堀「そう、その流れですよ。でも、そのころにはもう番組は落ち着いてた。すごい人たちがガンガン出てた時期は、もう過ぎていたんです」
『オンバト』で苦戦したマシンガンズは、それから長い時を経た2023年、同じく観客が審査をおこなう『THE SECOND』(フジテレビ系)で準優勝に輝き、一気にブレイクする。
西堀「『オンバト』のころ、マシンガンズはまだ途上だったんですよ。『THE SECOND』も同じような方式なんですけど、俺たちはこのときにはもう、お笑いを頑張ってたわけじゃないんですよね(笑)。勝ちたいという思いが強いわけじゃなかった」
滝沢「昔は素人に審査されることに腹を立ててたけど、でも今も営業に行ったら、相手は素人ですからね」
吹っ切れた表情の滝沢だが、西堀に「それでも、やっぱり『オンバト』の話になると、どうしてもこういう顔になるんですよ」と指をさされると、慌ててしかめ面をしてみせた。
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