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「何日も眠れずにいた」中森明菜 実父死亡報道で知人カメラマンが明かす直後の憔悴…“籍”は抜けても複雑な胸中
活動再開した“昭和の歌姫”の周りでは変化が起きていたようだ――。
2017年から活動休止していた、歌手の中森明菜が“復活宣言”したのは2022年8月のこと。2024年7月には、ファンクラブ限定のイベントで6年半ぶりに“生歌唱”を披露した。さらに、2025年4月には大分県で開催される大型野外フェス「ジゴロック2025 」に出演することが決まっており、ファンは喜びであふれている。
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今年、還暦を迎える歌姫の活発化に期待が寄せられる一方で、2月3日『週刊女性PRIME』は中森明菜の実父・昭男さんが亡くなっていたことや、中森が別の人物と“養子縁組”を組み、実父との籍を抜けたことを報じている。
「記事によると、2021年末から散歩中の転倒がきっかけで入院していた昭男さんが、2024年12月14日に都内の病院で亡くなったことを実兄が明かしています。
さらに、1995年に中森家から分籍していた明菜さんは、個人事務所『HZ VILLAGE』の代表女性と養子縁組を組んでいたことが、実父が亡くなる約半年前に発覚したそうです。結局、昭男さんの葬儀に明菜さんは現れず、実兄は『実家のある場所には来なくてもいいから少しでも思いを馳せてほしい』と胸中を語っています」(芸能記者)
活動を再開した中森との再会が叶わぬまま、この世を去ってしまった昭男さん。入院する約半年前に昭男さんと話した人はこう語る。
「昭男さんはすでに耳が遠くなっていて、ピンポンを鳴らしても気付かないことが多かったんです。明菜さんについて聞くと
『最後に会ったのは、明菜のお母さんが亡くなったお通夜の時。ちょっと顔を出して“明日からシンガポールで取材があるから”とすぐに帰っちゃいました。その時に明菜のお姉ちゃんたちも“お母さんもいるんだから顔でも触っていきな”って言ったんですけど顔も見ずに帰っちゃいましたよ……。
随分前になるんですが、正月や暮れにはハガキを出したんですが、受け取り拒否で返ってきましたから捨てちゃいましたよ。本人が拒否しているようです。もう諦めましたよ。でも、少し寂しいです』
と語っていました。それから半年ほどで入院してしまい、亡くなったことを知って驚きました」(昭男さんの知人)
だが、決して中森は“冷酷な女”というわけではない。関係者から昭男さんの訃報を知ったときの“憔悴ぶり”について、彼女をデビュー時から知るカメラマンYAHIMONときはる氏はこう語る。
「明菜さんが昭男さんの葬儀に行かなかったのには理由があるんです。『自分が行けば、マスコミが来てるから家族に迷惑がかかる』と考えたそうです。さらに『お骨は拾えなくても、父親が火葬される前に最後に父親に会いたい気持ちで何日も寝れずにいた』と聞いていますよ。
明菜さんは心優しい方なので、“絶縁した”というわけではなく、いろんな人の気持ちを考え“葛藤”した末に、行かないという選択肢をしたようです」
昭和の歌姫が抱えるあまりに複雑な家族関係だ。