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広瀬アリス『なんで私が神説教』スカッとしつつ、モヤモヤが残ったワケ…それってただの論破ですよね?【ネタバレあり】

ある程度はスカッとしたのだが、同時にモヤモヤも残ってしまう第1話だった。4月12日(土)にスタートした広瀬アリス主演の学園ドラマ『なんで私が神説教』(日本テレビ系)のことだ。
2年間も実家でニートを続けていた静(広瀬)は、母親の友人のコネで、いきなり高校教師をするハメに。いやいや教師になった静は、生徒と距離を保って波風立てずに過ごそうとするが、担任となった2年10組は問題児ぞろいだったため、したくもない説教をする状況に追い込まれていく。
「なんで私が説教を!?」と困惑しながらも、もともと負けず嫌いな性格だった静のスイッチが入り、生徒たちに「神説教」をしていくストーリーだ。
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■第1話のテーマは「イジメ」と「イジリ」の違い
公式サイトには《いっぱい笑えてスカッとする新たな学校エンターテインメント!》と謳われている。
たしかに、静が生意気な生徒を言い負かすシーンはスカッとした。けれど、矛盾するようだが、そのスカッとしたシーンにモヤモヤが残った。簡単に言うと、第1話で静の説教シーンは2回あったのだが、1度めと2度めでたいして変わっていないように感じたのだ。
第1話のテーマは「イジメ」と「イジリ」の違い。いつも周囲の顔色を伺っている女子が、1軍女子のなかでもリーダー格の生徒からイジメられており、静に助けを求めるという展開。
1度めの説教では、イジメではなくイジリだと主張し続けるリーダー女子に、静は「バカのひとつ覚えね。私はあなたのイジリを見てもひとつもおもしろいって思えなかった。その時点でもうイジメよ!」とまくし立てて黙らせる。
その後、騒ぎとなったことで教頭からこっぴどく叱られた静。母の友人の校長は「大人になめた態度をとる子どもには少しくらい厳しく叱ってもいい」と擁護してくれたが、一方で「叱ると怒るは違います。あなたのさっきのお説教は相手に論破されないためだけに言ったことです。自分のことしか考えてなかった」と諭していた。
■2度めが「神説教」という扱いになっていたが…
そして迎えた2度めの説教。まずはリーダー女子に「イジメとイジリは同じよ! なにも違わない。やられてる側がそれをよしとしてるか、してないか、それだけの違い」と言い放つ。
そしてクラス内の生徒全員に向けて、こう説教したのだ。
「集団がある限り、多かれ少なかれイジメは存在する。それがなくなることは絶対にない! じゃあどうするか? 私のようなその集団に属さない人間が、空気を読まず暴力的に物申してノリを壊すしかないの! 一応、あなたたちより人生長く生きた者として忠告します。人の気持ちが察せない人間が軽々しくイジりと言うな! それがわからず、大人になって同じようなことしてるヤツもいっぱいいるけど、そういう人間はいつか大事なものを失うから!」
劇中の演出的にはこの2度めのほうが「神説教」という扱いになっていたのだが、“神” と形容するほど素晴らしいセリフだっただろうか?
筆者には直球の正論でねじ伏せただけにしか思えなかった。というか、1度めの説教のあとに校長から「論破はなにも生み出さない」とたしなめられていたのに、結局また “ド正論” で論破しただけのように見えたのだが……。
■それってただの論破ですよね?
むかつくリーダー女子が主人公の言葉にねじ伏せられ、ぐうの音も出なくなった表情は観ていて痛快だった。そのスカッと感にうっかり納得させられそうになるが、冷静に主人公の言葉を読み解くと、「それってただの論破ですよね?」と気づいてしまったわけだ。
もちろん、相手の心に響く説教というのは、まずは相手の主張を論破するところから始まるのだろうから、論破自体は必要だったのだろう。しかし、だとすると達観キャラである校長の「論破はなにも生み出さない」の名言と矛盾してしまう。
いずれにしても、『なんで私が神説教』というタイトルから、主人公がよっぽど斬新な角度からの説教を披露してくれるのかと思ったが、ありがちな直球の論法でちょっと期待外れ。
タイトルにわざわざ「神説教」なんて銘打って自分でハードルを上げておきながら、その高すぎたハードルを超えられなかったという感じか。
「神説教」と称するならば、もっと斜め上の論法や突拍子もない例え話を交えながら、最後はきれいに着地するようなセリフを聞きたかった。これが、スカッとしたのにモヤモヤするという矛盾が起きた理由だ。
今夜放送の第2話こそ、目からウロコが落ちるような本当の「神説教」が出てくることを期待している。