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『北ウイング』タイトルにこだわった中森明菜の直感力に感嘆!竹内まりやから松原みきまで、2000曲を手がけた作曲家が語るヒットソング舞台裏

林哲司氏が手がけた楽曲は2000曲にのぼる(写真・木村哲夫)
竹内まりや『SEPTEMBER』、松原みき『真夜中のドア〜Stay With Me』、杏里『悲しみがとまらない』、中森明菜『北ウイング』ほか、数々のヒット曲を世に送り出してきた作曲家の林哲司氏(75)。世界に広がるシティポップの源流ともいわれる林サウンドは、いかにして生まれたのか。
「ディレクターやプロデューサーが何を求めているのか。そこで自分が何を提供すればいいのか、その答えを出さなければいけない仕事です。過去にやってきたことを踏襲すればいいわけではない。場合によっては違う答えを導き出さなければいけないこともあります。
歌い手の個性を意識して、自分のメロディに調和させることもあれば、自分のほうに引き寄せる作品の出し方をしなければいけないときもあります。それはアーティストの背景や置かれている状況によって違います。プロデューサー的な思考を求められることもあります」(林氏・以下同)
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たとえば、1979年11月5日に発売された松原みき『真夜中のドア〜Stay With Me』の制作時、林氏はディレクターから「洋楽的な作品にしてほしい」との注文を受けた。
「ディレクターから『歌詞に英語が乗るような曲でいいから、思い切ってやって』とオファーを受けて書きました。松原さんは、もっとアイドルっぽい歌を歌うようなかわいいキュートな女性でしたが、大人っぽい声質で歌っているというのはちょっと驚きでしたね」
この『真夜中のドア』は、シティポップブームを牽引し、現在までにYouTubeで36億回再生、Spotifyでは累計再生回数3億8000万回を突破した。この曲が、世界で受け入れられた理由はなんなのだろうか?
「なぜ世界でヒットしたのか僕にはわからないけど、日本のカルチャーが海外で新しい捉えられ方をしていて、いまでも勢いがあると感じています。そのなかで音楽は、いちばん若い人たちに享受されやすいものですから、新鮮に聴こえたのでしょう。サブスクという音楽の聴き方の文化によって広がっていったブームだと思います」
一方、菊池桃子のデビューアルバムに収録されている『Blind Curve』を、インドネシアのシンガー・レイニッチがカバーし、大きな話題を呼んだ。
「顕著な例ですね。シングルをカバーするのであればわかりやすいけど、アルバム曲を取り上げるアーティストがインドネシアにいたわけです。
1980年代に発売された楽曲でも、いま初めて聴いていいと感じれば、それは新しい曲として聴く感覚を若い人たちは持っている気がしますね。日本だと『リバイバル』になるけど、海外だと『新曲』になる」
林氏が手がけた楽曲は2000曲にのぼる。多くの日本人の記憶に残るヒットソングの制作秘話を、林氏に聞いた。以下、箇条書きで紹介しよう。
■竹内まりや『SEPTEMBER』(作詞:松本隆/作曲・編曲:林哲司)1979年8月21日発売
「これは、竹内まりやさんの3枚めのシングルです。プロデューサーから『“SEPTEMBER” という言葉をタイトルとキーワードにしたい』と依頼を受けて書きました。ちょっと歌謡ポップスっぽい作品に仕上がったので、恐る恐る提出しました(笑)。アレンジでポップス色を強く出し、加えてまだデビュー前のEPOさんがコーラスを務めています。まりやさんはポップな声質をお持ちなので、いいポップチューンになったと思います」
■上田正樹『悲しい色やね -OSAKA BAY BLUES-』(作詞:康珍化/作曲:林哲司、編曲:星勝)1982年10月21日発売
「僕の場合、90%がメロ先(メロディを先に作り、歌詞があとからつけられる)で、アルバム用の曲として書きました。上田さんはもともと、レゲエやブルースの世界で個性を発揮しているシンガーでしたから、歌い方に関しては狙いどおり。言葉(歌詞)が、関西弁だったから、ちょっと自分が描いていた世界観とは違いましたけどね。
1979年に『SEPTEMBER』と『真夜中のドア〜Stay With Me』がヒットして、そこから上田さんの『悲しい色やね』までに3年ほどあるんです。それはまだ、日本のチャートのなかで、時代がポップスに傾いていなかったということ。まだまだ歌謡曲が主流の時代でしたから。1983年あたりから、だんだんポップスが日本の音楽シーンで受け入れられていくようになっていきます」
■杏里『悲しみがとまらない』(作詞:康珍化/作曲・編曲:角松敏生・林哲司)1983年11月5日発売
「角松(敏生)くんが杏里さんのプロデュースをしていた時期に、『作詞・康珍化、作曲・林哲司のコンビで、作品を書いてほしい』という彼のリクエストでした。僕はレコーディングには参加していないけど、打ち合わせの際に『イントロをどうしようか』という相談を受けたので、フレーズを提供しました。ソウルっぽいアレンジにしようという意向でしたね」
■杉山清貴&オメガトライブ『SUMMER SUSPICION』(作詞:康珍化/作曲・編曲:林哲司)1983年4月21日発売
「まずバンドとしてのカラーを出し、コーラスを含めたサウンド作りをすることを意識しました。彼らがやっていた従来のバンドサウンドを延長するのではなく、作り込む1つのプロジェクトでしたね。結果的にすべてのシングルを書きましたが、これは約束されたものではありませんでした。
ただ、ヒットさせなければいけないという役割があったので、その “重さ” はずっと感じていました。それがクリアできて、7作続いたということだと思います。CMタイアップ、ドラマの主題歌など、アーティストが抱える環境が付加されて作品作りに入らなければいけないところもあります。
つねに新しいものを考えなければいけない時期でした。杉山くんはすごいボーカルだと思います。ボーカル力はいまだに進化していますね。いまでも同じキーで歌っていますし、キャリアを重ねて、表現が豊かになっている。まったく衰えていません」
■中森明菜『北ウイング』(作詞:康珍化/作曲・編曲:林哲司)1984年1月1日発売
杉山清貴&オメガトライブの『SUMMER SUSPICION』を聴いた中森明菜が、康珍化・林哲司コンビに新曲を依頼し、実現したのが『北ウイング』だ。
「明菜さんのヒット曲『少女A』のアグレッシヴな女性像と、『スローモーション』『セカンド・ラブ』の “優しい女の子” という両極端なイメージがあるなかで、ディレクターからの要望は『その真ん中の女性』でした。それを表現するのが、歌詞の世界であればわかるけど、メロディーを『真ん中で作る』のは、難しかったですね。
康珍化さんは曲のタイトルを『ミッドナイト・フライト』とつけたのですが、明菜さんが考えた『北ウイング』になりました。当時、僕は反対しました。この時代は英語タイトルの方がキャッチーだったから。いま振り返ると、『北ウイング』と名づけた明菜さんのアーティストとしての直感力はすばらしかった」
2023年11月、林氏のトリビュートアルバム『50th Anniversary Special A Tribute of Hayashi Tetsuji - Saudade -』には、新録された『北ウイング-CLASSIC-』が収録された。
「今の時代の『北ウイング』だと思いましたよ。康珍化さんが書いた歌の世界を、あらためて俯瞰して、ご自身が歌われている。同じ空港でも年齢を重ねた女性がそこにいる、という感じがしました」
■菊池桃子『青春のいじわる』(作詞:秋元康/作曲・編曲:林哲司)1984年4月21日発売
「『杉山清貴&オメガトライブ』のレコーディング中に、初めてスタジオで会いました。制服姿で現われて、あまりにも純だったので、なにかと厳しい芸能界には入らないほうがいいのではないかと思うほど(笑)。
僕は典型的なアイドルソングはやりたくなかったので、通常では考えられないマッチングだったと思うんですけど、彼女の声は独特でハスキーな感じがあるので、それが相まって、通常のアイドルではない作品づくりができたんじゃないかなと思います」
実は林氏は、自身もシンガー・ソングライターとして活躍してきた。2025年4月23日には、自身初となるベストアルバム『Yesterday Alone』をリリースした。1973年4月にデビュー以来の足跡をたどるコンピレーション・アルバムだ。
「自分の個性が出てきたのが、アルバム3枚めぐらいからなんですけど、自分自身が持っているコアは、そんなに変わっていません。その部分が反映されている楽曲たちを、時代を追いかけながら選びました。
曲順など、ただの時系列にはしたくなかったので、曲がスムーズに流れるように意識しました。自分自身が今まで培ってきた音楽、アーティストとして発表してきたものの集大成になります。いろんな人に作品を提供してきた僕のベースになっていることを垣間見ていただけると嬉しいです」
はやしてつじ
1949年8月20日生まれ 静岡県出身 2000曲あまりの発表作品は、今日のシティポップ・ブームの原点的作品となる。映画音楽、テレビドラマ音楽、テーマ音楽、イベント音楽の分野においても多数の作品を提供。ヒット曲をはじめ発表作品を披露する「SONG FILE LIVE」など、積極的なライブ活動もおこなっている。2025年8月30日(土)、31日(日)「シティポップHITSセレクション 林哲司SONG FILE SPECIAL」をよみうり大手町ホールにて開催する