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脚本家・ジェームス三木さん死去“大河ドラマナンバーワン”視聴率の生みの親は女性170人と浮名を流した昭和の“豪傑”

亡くなったジェームス三木さん(写真・共同通信)
6月19日、脚本家のジェームス三木さんの公式サイトが、「6月14日、肺炎のため他界しました」と、死去を伝えた。故人の遺志で通夜・葬儀は近親者のみで執りおこなったという。
ジェームス三木さんは、NHKで大河ドラマ『独眼竜政宗』や連続テレビ小説『澪つくし』などの大ヒット
ドラマを執筆した大物脚本家。しかし、それと同時に昭和世代には“性豪”としての印象が強い。
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「三木さんは、もともとは役者志望でした。高校時代に演劇を志し、高校3年で中退して俳優座の養成所に入所したんですが、2年で挫折。その後、テイチクレコードの新人歌手コンクールに参加して合格し、専属歌手として下積み生活を送ります。これが13年間もつづきました。1960年、26歳で結婚し、歌手としての仕事が低迷したため文芸活動に転向します。33歳で発表した処女作『アダムの星』が第18回新人映画シナリオコンクールに準入選し、1969年、34歳のときに映画『夕月』で脚本家デビュー。まさに紆余曲折の人生でした」(芸能記者)
1985年に『澪つくし』を大ヒットさせ、続く1987年の『独眼竜正宗』は大河ドラマ史上1位の平均視聴率39.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録。売れっ子脚本家の地位に君臨していた三木さんだが、1992年、あるスキャンダルに足をすくわれる。
「当時の夫人が『仮面夫婦 私が夫と別れる理由』という書籍を出版したんです。本のなかでは、夫人が発見したという、三木さんが関係を持った女性について記していたという伝説のノート『春の歩み』も掲載されました」(同前)
その内容は衝撃的なもので、《女性の名前は実名で、職業、年齢、そして容姿と性器にはABCでランクづけをしてあり、ジェームス三木自身が体験した、彼女たちの性器の感想まで、克明に書き込んであった》と本には記されている。その数、実に173人。
「当時のワイドショーでは、書かれた相手の予想で盛り上がっていました。この暴露本は15万部を売り上げ、社会現象となりました。そこから三木さんと夫人は、泥沼の訴訟合戦に発展。最終的には離婚しました」(同前)
2020年3月28日発売の「週刊女性」では、こちらも4WD車内での不倫が話題となった、俳優の原田龍二と対談。女性関係に関して夫人に気づかれたのかという質問に《そりゃ気づくだろうな(笑)。黙って自宅を訪ねてきたりして、今で言う“匂わせ”をしていた女性もいるからね》などと答えている。
「対談当時、三木さんは85歳。《歌手はすごく女にモテるんだよ》《歌手としては売れなかったけど、出待ちの女の子はたくさんいてね。女性は低い男の声にしびれるんだな》と、過去を振り返っていました。
さらに《僕は「芸術には国境も国籍もない」というのが信条》と話したうえで、もうひとつ、国境も国籍もないものとして《セックス。どこの国でも、セックスだけはなくならないだろう》《今の日本はセックスについてまじめに語らないよね》と、独自の持論を展開していました」(同前)
離婚を経て、仕事が激減した三木さんだが、1995年には再びNHKで大河ドラマ『八代将軍吉宗』の脚本を執筆、復活を遂げる。1999年には、講師をしていたシナリオ学校の生徒と再婚を果たした。最後まで、女性を愛し続けた人生だった。合掌。