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Perfume活動休止「メンバーはみんなアナログ人間」ブレーク直後に語っていた “ゆるゆる発言” とは?「伝説」が始まった下積み時代!

左からかしゆか、あ~ちゃん、のっち
2025年12月31日をもって「コールドスリープ(活動休止)」することを宣言したPerfume。結成から25年間、走り続けてきた彼女たちの足跡を、数々の “伝説エピソード” でたどってみたい。
1999年、広島で結成されたPerfume。3人が出会ったのは、1999年に開校した「アクターズスクール広島」で、1期生だった。「アクターズスクール」といえば、SPEED。3人ともにSPEEDに憧れていた。
現在は、かしゆか(樫野有香)、あ~ちゃん(西脇綾香)、のっち(大本彩乃)の3人だが、結成当時は違うメンバーがいた。河島佑香というメンバーがいたのだが、まもなく離脱。脱退でメンバーが2人になったとき、あ~ちゃんの母親の「もう1人おらんの? 人数が2人じゃ弱いけん」というひと言で、のっちが加入することになったという。
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アクターズスクールはレベル別にクラス分けされており、あ~ちゃんとかしゆかは初心者クラスだったが、のっちは上級クラス。スクール内でも1位2位を争う歌唱力だった。
結成当初のグループ名は、ひらがなで「ぱひゅーむ」。創設メンバー3人の名前には「有香」「綾香」「佑香」と、「香」が入っていたことから考案された。ちなみに、のっちの名前は「彩乃」で、「香」は入っていない。
結成後、広島で地域限定デビューしたPerfume。いわゆる「ローカルアイドル」だ。初の握手会イベントでやってきた客はわずか5人。しかもそのうちの3人がサクラ(店員)だったというから、華々しいデビューとは言いがたい。
2002年3月、インディーズながらシングル『OMAJINAI★ペロリ』でデビュー。プロデューサーは爆風スランプのパッパラー河合で、テクノポップではなく、典型的なアイドル路線だった。地元のテレビ局に出演し「マグロの解体ショー」に挑戦したこともあったというから、まさにローカルアイドルだったのだ。
2003年に3人は上京。芸能事務所アミューズの所属となるが、当時は同社のアイドル集団「BEE-HYDE」の一員として、寮生活を送っていた。プロデューサーに中田ヤスタカを迎え、アイドルからテクノポップに路線転換したことで、Perfumeの名はインディーズ界隈でじわじわと浸透。一部のファンの間ではカルト的人気を博すほどになる。
そして2005年、ついにメジャーデビュー。2007年には木村カエラがPerfumeのファンだと公言し、自身のラジオで『ポリリズム』を繰り返しオンエア。これがCM制作者の知るところとなり、AC公共広告機構のCMに出演。知名度が飛躍的に高まり、“大ブレイク” へとつながっていく。
ACのCMに出演し、一気に注目を浴びた時期に、本誌は3人にインタビューをおこなっている。当時3人は18歳だった。
動画サイトなどのネットを中心に人気が広がっているという話に、あ~ちゃんは「ネットで話題になっているという噂は聞くのですが、ニコニコ動画って何なんですか?(笑)」と、さすがの天然発言。さらに、かしゆかは「調べものをするときぐらいにしか、ネットは使わないので……」と漏らし、のっちは「“近未来ユニット” っていわれているのですが、本人たちはかなりアナログ人間ですよ(笑)」と、なんともゆる~い3人。
さらに、あ~ちゃんは「セクシーなグラビアはできませんが(笑)、曲で楽しんでいただけたらうれしいです」と読者向けのサービス発言も。
取材の最後には、かしゆかが「地元の広島でワンマンイベントをやるのが夢です。早く叶えられるように頑張ります」と語っていたが、その数年後にはワンマンイベントどころか、世界的なアーティストに飛躍したPerfume。
3人の広島っ子は、こうして “ジャパニーズ・ドリーム” を実現したのだ。