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二階堂ふみ「女優になってテレビに出たい」と小4で宣言
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2018.04.28 14:00 最終更新日:2018.04.28 14:02
いまや、押しも押されもせぬ実力派女優に成長した二階堂ふみ(23)。本誌は、二階堂にとって「女優の原点」ともいえる沖縄で、その幼少期を取材した。
大通りから少し離れた、沖縄らしい住宅街。その一角に二階堂の生家があった。子供の頃は自宅近くでよく見かけたと、ある商店主は懐かしむ。
「とにかくおてんばな子でした。商店街の中を走り回っていましたよ。男の子と遊ぶ姿をよく見ましたね」
一人っ子だった彼女は母親の意向で琉球空手、バイオリン、英会話など、習い事をいくつもしていたという。
「お母さんは厳しい人でした。でも、母子で連れだって、よく映画館に行っていました。女優になったのは、お母さんがさせたかったからじゃないかな」(小学校の同級生)
この同級生によれば、二階堂は小学4年生のとき「私は女優になってテレビに出たい」と話していたという。
小学6年の学芸会で披露した『サトウキビ畑』という劇では主役を演じた。戦争をテーマにした劇だった。このころには、地元のタウン誌でモデルを務めるようになっていた。
「体育の時間で校庭に出ると、日傘をさして授業には参加しなくなっていました」(前出・同級生)というのだから、トップ女優への階段を、すでに昇り始めていたわけだ。
感受性が、ほかの女の子とは違った。
「さばさばした性格で強気な子だった。言い合いになると一歩も引かない。男の子が読む、板垣恵介の『グラップラー刃牙』という漫画の『花山薫』という暴力団組長のキャラクターが好きだと言っていた」(別の小学校の同級生)
それでいて、女の子らしさもある。
「バイオリニストの葉加瀬太郎が地元でコンサートを開いたとき、『沖縄らしい花束を渡したい』と言って花を買いに来た。ふみちゃんが選んだのはソルボンヌという花。花の種類をたくさん覚えていて、感心しましたね」(生花店店主)
彼女には行きつけの古着屋さんがあった。彼女自身が「おしゃれの基本はここで教わった」という、二階堂ファンの間では聖地といわれている場所。
大人向けの古着屋だったが、彼女はここに週に1、2回通い、店内で宿題をすませることもあったそうだ。早熟だった彼女は、この古着屋でスカウトされ、タウン誌の表紙を飾る。さらに、「沖縄美少女図鑑」に出たことで注目されることになった。
小6で「nicola」専属モデルとなり、中学1年のとき、女優としてデビュー。東京と沖縄を行き来するようになり、学校は休みがちになった。
「小中時代の呼び名は「ふーみん」。中学2年のときに『俺、ふーみんが好きなんだよ』って告白した同級生がいて、学校中で話題になった。ふーみんの返事はオッケー。でも校内を2日ほどデートしたらふられてしまった」(中学の同級生)
中学を卒業すると、本格的に女優として活動するために上京。東京の高校に進学した。その後、彼女は一浪して慶應大学に合格している。
3年前の成人式に、二階堂は帰郷し、同級生らと成人を祝った。
「すっかり女優の顔になっていて、さすがに彼女の写真を撮るのは気が引けました。でも同級生同士の絆は深くて、いまも仲はいいですよ」(同前)
そして、2017年末。二階堂は栃木生まれの恋人・米倉強太(23)を沖縄につれてきて、仲よくデートしたのだった。
(週刊FLASH 2018年3月27日・4月3日合併号)