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独占インタビュー「清原和博」もし高校野球の監督になったら…
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2018.09.09 11:00 最終更新日:2018.09.27 15:13
「中学生のときは、早稲田実業の荒木大輔さんや池田高校の水野雄仁さんの活躍を『すごいなあ』と思いながら、テレビ観戦していましたね。
生まれ育った岸和田からは、車で1時間半もあれば到着するのですが、PL学園の野球部に入部するまでは、甲子園球場ははるかかなたの、とても遠い場所でした」
100回めを迎えた2018年の夏の甲子園大会では、松井秀喜氏や太田幸司氏らが始球式を務め、多くの注目を集めた。
一方、高校球児が熱戦を繰り広げていた8月14日。甲子園歴代最多となる通算13本塁打を放った清原和博氏(51)は、都内のホテルで “聖地” への思いを淡々と語り始めた。
「母校のPL学園硬式野球部は(2016年に)休部になってしまい、もう甲子園でPLのユニホームを見られないのは残念です。
甲子園に出場したことで、僕の人生は180度がらりと変わった。大きな転機になった大会なので、やっぱり気になって、連日テレビで観戦していますよ。
高校球児の全力プレーを見ていて思うのは、悔いのないようにやってもらいたいということに尽きます。その後の人生を左右するものですから」
高校3年間、5季連続、春夏すべての大会に出場し、優勝2回、準優勝2回という好成績を収めたが、清原氏は「自分は悔いだらけだったが、3年の夏を最高のかたちで締めくくることができ、吹っ切れた」と語る。
「1年の夏に初めて出場して優勝したときのことなど、すべて印象に残っていますけど、やっぱり3年の夏が特に印象深いですね。3回戦まで一本もホームランを打つことができなかったのですが、準々決勝で大会屈指の好投手といわれていた高知商の中山(裕章)から特大のホームランを打つことができた。
準決勝でも2本、決勝ではリードされている状況から2本の同点ホームラン。僕は1年生から四番を打たせてもらっていましたが、四番としての仕事ができたのは、3年の夏の準々決勝から決勝までの3試合だったと思っています」
甲子園からプロ野球へと話題は変わる。清原氏は、2位以下に大差をつけて首位を独走する広島カープとの対戦を夢見るのだった。
「プロ野球はシーズン143試合、勝ち進めばクライマックス、日本シリーズと長丁場です。それだけにモチベーションを維持するのが大変です。僕は大差で勝っていたり、もしくは負けている試合では、打席で集中できなくなるところがありました。
ところが、広島の選手は負けている試合でもモチベーションが高いという印象です。逆転勝ちを何回もしているし、勝ち方を熟知している。もしもタイムスリップできるのなら、黄金時代の西武ライオンズの一員として対戦してみたいですね。
僕がいたときの西武は秋山(幸二)さんがいて、デストラーデもいましたが、投手王国で、ミスのない手堅い野球をするチームでした。
でも、今シーズンの西武は山川(穂高)くんや浅村(栄斗)くんなど、個性溢れる打者が並んでいて、強力打線が持ち味のチーム。今の西武とも対戦したいですね」
最後に「もし高校野球の監督になったら、どんなチームを作りたいか?」と問いかけてみた。インタビュー中、終始緊張気味の清原氏だったが、清々しい表情を浮かべ、こう答えた。
「難しい質問ですね。高校時代は野球の実力がぐんと上がったり、停滞したり、選手にとって大事な時期なんでね。そのなかで、勝利を優先するのか、選手の育成を考えた指導をするのか。
いちばんいいのは両方だと思うのですが、僕は一人ひとりの選手の個性を潰さない、才能を伸ばしてあげられるような指導をすると思います」
「高校時代のライバルは?」の質問に、3年春のセンバツ準決勝で対戦した伊野商(高知)の渡辺智男の名を挙げた清原。
「まっすぐ一本で、バットにかすることなく三振を取られましたからね」
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(週刊FLASH 2018年9月4日)