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間寛平いま語る「アースマラソン」どんだけ死にかけてるか…
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2018.09.19 16:00 最終更新日:2018.09.19 16:00
地球一周をマラソンするという信じがたい企画「アースマラソン」がスタートして、まもなく10年を迎える間寛平(69)。寛平に昔からお世話になっているという元芸人・インタビューマン山下が当時の心境を聞いた。
――アースマラソンからもうすぐ10年たちますが。
「ホンマに、自分で、ようあんなことしたなと思うわ(笑)。いま冷静に考えたら、絶対死ぬよな」
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――そうですよ(笑)。当時「冬にヨットで太平洋を横断する」って聞いたときは、みんな「師匠、死ぬんちゃうか?」言うてましたから。
「そやろ。やばいやばい! マネージャーと2人だけやからな。しかも俺はそのために船舶免許を取っただけやし、マネージャーは一応経験者やけど、ビビりながら小笠原諸島に行ったぐらいで……。そのときも泣いた、言うてたもん。『神様助けてくれ』って(笑)」
――そんな状況でよくやりましたね。
「俺は全面的にマネージャーを信用してるから、やったんやろうな」
――そもそも、なぜアースマラソンをやろうと思ったんですか?
「最初は、うちの家の玄関で、嫁はんに『行ってくるわ』いうて右から出て左から帰ってくる。『これが地球一周や』というのをマネージャーと2人で考えて……。
そこからスタート切るまで3年準備がかかった。京都の鴨川に古いヨットがあって、まずはそのヨットを直さないといけない。
仕事が休みの日は、俺が5キロ走っては『正』の字を書いていくのを10回やって、毎回50キロ走った。
仕事のときは、家から甲子園まで走って帰ってきて25キロ。そのあとマネージャーが、メーターをゼロにした原付バイクで俺に付いてきて、25キロになったらそのままテレビ局に行って番組収録してた。
だから仕事のときは、現場まで毎回走って行って毎日50キロ走ってたわ。それを3年間やってアースマラソンを発表したわけよ」
――ヨットで太平洋横断したとき、危険なことはありませんでしたか?
「どんだけ死にかけてるか。どんだけ苦しいか。外で夜、真っ暗闇のなか、トイレひとつするのにも手で柱をつかみながらやるぐらい。波が来たら一発で海に投げ出されるねん。その時点で死ぬから。
だからハーネスをつけるねんけど、腰だけやったら『バーン』と波が来たら腰の骨が折れるのよ。それで、両肩と腰と両方してトイレをせなあかんねん。
でも疲れてしんどすぎるから、ズボラしてハーネスを付けんとトイレしてまうねん。ほんなら10歳ぐらい年下のマネージャーに『ハーネスつけてなかったやろ!』いうて怒られんねん」
――アースマラソン挑戦中、芸人さんたちが師匠に手紙を書いてたんですが、印象に残ってる手紙とかありましたか?
「みんなの手紙見てずっと泣いてたわ。少年隊の東山君とかタモリさんとか手紙をいっぱいもらって。一日一通、マネージャーが俺に『これ読んでください』言うて手紙を渡すのよ。
そしたら俺が『あ~あ~』いうて、あまりにも長い時間ずっと泣いてるから、途中からマネージャーが俺に手紙を渡さなくなってきたわ(笑)。生きるか死ぬかの毎日やったからずっと泣いてしまうのよ……」
――来年70歳を迎えますが、今後の目標を聞かせてください。
「100歳でフルマラソンを完走することやな。それぐらいの夢を持っときたい。あと30年生きなあかんけど(笑)」
間寛平の人生のマラソンはまだまだ続きそうだ。
※9月23日、ルミネtheよしもとにてコントLIVE「寛平がまとわりつく8人」公演予定