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麻倉未稀、乳がんを語る「胸がなくても歌える」と手術を決意
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2018.11.15 11:00 最終更新日:2018.11.15 11:00
日本人女性の11人に1人が発症する、30~64歳の女性の死亡原因No.1は「乳がん」である。女性に多く発症するこの病を、家族として男はどう受け止め、対処すべきか。実際に乳がんと闘った麻倉未稀(58)が治療体験を語る。
最初は2007年。乳血栓が見つかり3年ほど通院したが、このときは腫瘍は発見されなかった。10年の時を経た2017年4月、テレビ番組の企画で受けた人間ドックのマンモグラフィーで、2センチ強の大きさの腫瘍が2つ見つかる。
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再検査をしたところ、初期のがんと確定した。2つに見えたものは、乳頭の裏で繫がっており、ひょうたん形の4.8センチほどのものだった。
「検査の映像で乳頭の裏に腫瘍があるのがわかったので、全摘は避けられませんでした。先生にまずお聞きしたのは、いつから歌えるかということ。胸がなくなっても歌は歌えますから、決断は早かったです」
テレビ番組の企画で見つかったので、公表するかどうかで悩んだが、視聴者の啓蒙になればと公表した。自宅と病院が遠かったので、医師から術後の通院も考え近くの病院を探すことをすすめられた。
そして今の病院と出会い、2017年6月に左乳房の全摘同時再建術をおこなった。初期でリンパへの転移はなし。7月にホルモン療法を開始して、現在に至る。
「いい病院といい先生に出会えました。私は手術後の治療はホルモン療法だけでしたが、左胸を全摘した影響で、左腕が痛くて上がらなかった。いまもリハビリに通っているので、自宅から近い病院でよかったですね」
心配だった声は、手術前より出るようになったと話す。
「力むと痛いので、力を入れないで歌うようになったら、以前より声量も出て音域も広がりました(笑)」
もうひとつ、がんになって変わったのは、夫との仲がぐっと濃くなったこと。
「当時、主人は数年間病気を患っていました。それもあって検診に行く時間がなく、『乳がんになったのは俺のせいではないか』と主人は自分を責めていたんです。それを知ってから、病状や私の気持ちを本音で話すようにしました。
最初は、主人も腫れ物にさわるような接し方でしたが、一気に2人の距離が縮まった。寄り添ってくれている、病気を共有してくれているという安心感が生まれました」
いまは医師などと「ピンクリボンふじさわ」を立ち上げ、講演をおこなっている。
「ご夫婦で乳がんを学ぶのもいいと思います。費用を気にして検診に行けないという声も聞くので、奥さんが行きやすいように、『検診に行けよ』と声をかけてあげてください」
あさくらみき
1960年、大阪府生まれ。1981年に『ミスティ・トワイライト』でデビュー。ドラマ主題歌の『ヒーロー』が大ヒット。歌手活動のほか、元プリンセスプリンセスの富田京子らと「ピンクリボンふじさわ」を立ち上げ、実行委員長として講演などをおこなっている
(週刊FLASH 2018年11月6日号)