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尼神インター「女芸人同士でライバルはいない」の真意
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2018.12.18 20:00 最終更新日:2018.12.18 20:00
2018年、女性芸人の出世頭だった尼神インター。コンビでの活動はもちろん、誠子は「かわいこぶるブスキャラ」でバラエティを賑わせ、渚はドラマに出演し、ピンでの活躍もめざましい。
そんな最旬の2人が、尼神インターの誕生秘話と、「女コンビ芸人への愛」を語り尽くした!
――お2人が芸人になったころに比べて、女コンビが増えているという実感はある?
誠子「ありますね。NSC(よしもとの養成所)を出てすぐ劇場のレギュラーメンバーになれたんですが、当時はアジアンさん以来、10年ぶりの女芸人レギュラーだったんです」
――養成所で知り合ったそうですが、入学時からピンではなくコンビでと思っていた?
誠子「漫才がやりたくて、誰かと組もうと思っていました」
渚「私はNSCで何をするかもわからずに入ったので、何も考えずに流れにまかせていましたね。ネタの練習のためには、ネタ見せに出ないといけないと知って、自然と誰かと組むことを考え始めました」
――男性とコンビを組もうとは考えなかった?
誠子「学生時代から男性に免疫がなかったので、どう話していいかわからなくて。漫才自体が初めてなのに、男性としゃべるネタは思いつかなかったですね」
渚「男女にこだわらず、おもしろいと思った人と組もうと思っていました。相方がそのとき、中国の方とコンビを組んでいて、おもしろかったので声をかけたんです」
誠子「日本語がしゃべれて、めっちゃブスで、めっちゃ明るくておもしろい女のコで。
逸材やったんですけど、急にビザが切れたから帰国すると言われて。『イイ思イ出ニナッタヨー! アリガトネー!』と帰っていきました(笑)」
――女芸人であることでやりやすさ、やりにくさはある?
誠子「女芸人自体の注目度が高いことはありがたいですね。たくさんいたから、ボケがかぶったりしてやりにくいかと思っていたんですが、意外とみんなたくさん『ブスボケ』を持っていて(笑)。体型であったり容姿であったり。女芸人ってけっこう幅広いんやなって」
渚「芸歴1、2年めのころに、『目標にしている女芸人は?』と聞かれても答えられなかったんです。オアシズさんくらい先輩だと、世界が違うように思えて。どの人をお手本にしたらいいのか……という意味では、しんどいと思うこともありましたね。
でも、途中からそれがラッキーだと思えるようになったんです。誰もいないなら、ジャンルを作って先頭になればいい。
大阪の劇場で一緒にやってきたガンバレルーヤや、ゆりやんレトリバァ、紅しょうがとか、そういう仲間が増えたら嬉しいし、少なければ『自分』というジャンルが作れる。
今それを作っている最中だと思っているので、こういうやり方もあるんだと、後輩に見せられたらと思っています」
――「女なのに体を張る」や「ブス」という出方以外があっていいですよね?
渚「絶対そう。無理しないというか、へんにキャラを作るのではなく自分たちの持っているものを最大限に出す。持っているものを伸ばすほうが絶対にいいし、楽しくできる」
――以前、女芸人の方に「女芸人は共闘しないとやっていけないので、女芸人同士でライバルはいない」と言われたことがあるのですが、ともに戦っているという意識はある?
誠子「たしかに男芸人と比べて、『女芸人を盛り上げていこう』と、女芸人全体で考えているかもしれません。
大先輩のハイヒール・リンゴさんが、東京と大阪で『女芸人大祭り』というイベントを立ち上げてくださっていたりして。リンゴさんに影響された面もあるかもしれません(笑)」
渚「東京で朝から情報番組に出た後、夜に渋谷の劇場でイベントをやってくれてますからね。むちゃくちゃ元気! バリバリですよ(笑)」
――最後に「女芸人」と呼ばれることについてどう思う?
誠子「イヤだと思ったり、気にしたことはないですね。こうやって特集していただいたり、女芸人イベントができるのも嬉しい」
渚「『女芸人枠』があるから番組などに呼んでもらえることはラッキーだと思います。でも、一般の方の『女芸人だから〇〇だ』みたいな決まった解釈の仕方は正直好きじゃないです。
需要がそうなのかもしれませんが、女芸人だったら美容ロケ、みたいなのも苦手で。だからこそ、違うところを伸ばさないといけないなと思っています」
あまこういんたー
(よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属)
せいこ 1988年12月4日生まれ
なぎさ 1984年8月6日生まれ ともに兵庫県出身
2007年コンビ結成。バラエティ番組に多数出演するほか、今秋、渚がドラマ『僕とシッポと神楽坂』(テレビ朝日系)に出演
取材・文 松田優子
(週刊FLASH 2018年12月18日号)