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ホームレスだった「奥田瑛二」を成功に導いた安藤和津の教育

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2019.02.05 20:00 最終更新日:2019.02.05 20:00

ホームレスだった「奥田瑛二」を成功に導いた安藤和津の教育

 

 俳優で映画監督でもある奥田瑛二が『メレンゲの気持ち』(日本テレビ系)2月2日放送回で、妻・安藤和津との馴れ初めについて明かした。

 

 奥田は1976年に、特撮ヒーロー戦隊ドラマ『円盤戦争バンキッド』(日本テレビ系)に主演して俳優デビューを果たしたが、その後まったく仕事がなくなってしまい、家賃も払えない。そのため、2カ月ほど代々木公園でホームレス生活をしていた、と告白。

 

 

「新聞紙を芝生の上に引いて、寝て、下着が3枚入ってるバッグを枕にして、(顔の上に)新聞紙をこう……」

 

 現在の妻・安藤と出会ったのは、まさにその頃だという。

 

「(渋谷区)富ヶ谷に、歩いて10分くらいのところに友達が住んでいました。その友達のところに行って、飯を食おうと。で、食いに行ったら、その友達が『大きな誕生日パーティに行く』と言って。そのパーティーに(安藤)和津さんがゲストで来ていました」

 

 初対面で安藤に「俳優をやっております。文学座の14期生です」とウソをついた奥田。しかしその後、「実は僕、泊まるところもないんだ」と正直に告げると、安藤が救いの手を差し伸べてくれたという。

 

「銀座の老舗レストランの息子を紹介してくれて、そこに居候できるよう、面倒を見てくれたんです」

 

 奥田によれば、当時の安藤は「この人(奥田)は魚の腐ったような目をしている。どうにかしなければいけない!」と思ったそう。そこから、安藤の「奥田瑛二更生プログラム」が始まる。

 

 高級ブランド・FENDI(フェンディ)の水着を奥田に渡し、プールに連れて行き、有名振付師の下でジャズダンスのレッスンを受けさせた。

 

 そして1979年、奥田に仕事もないまま、ふたりは結婚。するとすぐに、奥田は映画『もっとしなやかに、もっとしたたかに』への出演が決まる。

 

 そんな奥田は『サワコの朝』2016年5月14日放送回で、安藤と出会った翌日に喫茶店でデートしたときのことを語っている。

 

「エビピラフとアイスコーヒーを先に頼んでお腹を膨らまして。で、先に出たんですけど、彼女がお金払ってくれたんです。そこで(安藤の)母性本能に火がついた」

 

 一方、同番組の2018年11月3日放送回では、妻の安藤が出演し、こう語っている。

 

「(当時の奥田は)借金しかなかった。飲み屋とかツケで、『この通りは歩けません』とか。最初は救済事業みたいな気になっていた。売れないのに自分で生活を変えようとしない。お尻を叩かなきゃ」

 

 安藤と結婚して以来、1985年に『金曜日の妻たちへ3』、1986年に『男女7人夏物語』(ともにTBS系)と、ドラマで次々に当たり役を掴み、二枚目俳優としての立ち位置を確立した奥田。今日の男前な大御所俳優としての奥田があるのは、妻・安藤の「教育」の賜物なのだ。

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