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小藪千豊「吉本新喜劇は物産展みたいなもの」と笑顔みせる
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2019.03.31 20:00 最終更新日:2019.03.31 20:00
3月28日、「吉本新喜劇ワールドツアー 60周年それがどうした!」の初日公演がよみうりホールで行われた。座長は小藪和豊と川畑泰史で、ツアーは日本全国47都道府県を回るだけでなく、中国など世界にも進出するという。
今回座長をつとめた小藪は「10年ぐらい前、『いつか全国47都道府県をツアーで周れたらいいですねぇ』と言ってたけど、まさかこんなに早く実現するとは」と感慨深げに語った。
吉本新喜劇は1959年に大阪で始まった公演で、1962年にTV放送が始まり、今田耕司やレイザーラモンHGといった売れっ子芸人を輩出してきた。全員が関西弁でローカルな雰囲気が強いが、最近は首都圏でもレギュラー放送されるようになってきている。
新喜劇の東日本進出について、小藪はこう語った。「大阪に来られない人のために、物産展的にこちらからお邪魔して、一口でも食べていただければと思います。
常々、東日本の皆さんにも観ていただきたいな、というのがありましたけど、箱根の山を越えるのは無理やという人もおったから、無理かなぁと思ってた。
けど、『東京に住んでたけど、結婚して大阪に行って新喜劇を観たら面白かったです』とか、『神奈川県に住んでるけど新喜劇をずっとCSで観てるんです』とかの声を聞いて。住んでる地域で笑いの好みがあると思ってたけど、関係あらへん」
小藪が、新喜劇に入ったきっかけには紆余曲折がある。1993年にNSC(吉本総合芸能学院)に入り漫才コンビを結成するも、人気が出てきたところで相方が構成作家になりたいと言い出し、2001年に解散。
進路に悩んでいたときに、新喜劇に声をかけられた。最初はちょい役ばかりでセリフも少なかったが、徐々に先輩方に認められ、2006年、32歳という当時最年少の若さで座長就任をはたした。
自身の芸能活動はすべて「新喜劇の広報活動」と公言するほど、新喜劇に向き合ってきた小藪。念願の東日本進出を達成した今、次はどんな一手を打つのだろうか。