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腎臓ガンから復活した「小橋建太」何歳になっても青春だ!
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2019.06.06 16:00 最終更新日:2019.06.06 17:14
2013年に現役引退したプロレスラー小橋建太が、若手芸人の登竜門番組『東京オーディション(仮)』(TOKYO MX)にゲスト出演した。登場したのは、オンライン英会話「ネイティブキャンプ」。そこで、小橋にプロレスから英語、ガン闘病の思い出まで話を聞いた。
――6月10日、久しぶりに試合があるとお聞きしましたが。
「フォーチュンドリームという大会を1年に1回やっていて、今年で6回目になるんです。みんな、プロレスは1つの団体しか見ないことが多いので、いろんな団体の若い選手からトップの選手まで呼んでいます。
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この選手たちの試合をしたら面白いなと考えるのが楽しくて。ファン目線ですよね。僕は、試合というか、(引退しているので)トークバトルで出ます(笑)。
今までも長州力さんや天龍さんなどに出ていただいたんですけど、プロレス界に31年もいて、全然接点のなかった前田日明さんとやることになってね」
――奇跡の試合(トークバトル)が始まるんですね!
「去年、高山(善廣)選手の大会にテレビの解説で行ったんですけど、前田さんもゲストで来ていて。控室でひとりコーヒーを飲んでいたら、偶然、前田さんが入ってきたんですよ。そのときに初めてお話させてもらって、なかなか面白い人だなと思って(笑)」
――先日もアメリカのラスベガスでイベントに出席されたと聞きましたが。
「引退して6年になりますが、アメリカから来てくれって言われるのってなかなかないと思うんです。これも何かもチャンスだと思うし、チャンスはいいことばかりでもなくて、それを乗り越えることもまたチャンスなんですよね。
人生は単純な一本道じゃないですから。僕は、ファンのみんなが背中を押してくれたから前に進めた部分も多いんです」
――英語で選手とコミュニケーションをとったことはありますか?
「昔、タッグパートナーがジョニー・エースという外国人選手だったんです。控室で2人だけになることも多くて、お互い英語と日本語を混ぜながら、なんとか伝えたい気持ちでコミュニケーションとってましたね。くだらない会話だったんですけど、『お前はモデルみたいだな』って言ったんですよ。
でも、モデルという言葉が通じなくて、大変でしたね。発音が悪かったみたいなんですけど、身振り手振りでやってもわからなくて。一生懸命ヒントを出したりしてやっと伝わったときの嬉しさは忘れられないです。言葉の壁を超えて、より親密になれた気がします」
――今でも語り継がれている2005年サモア・ジョーとの伝説の試合では、言葉が通じず大変なことはありましたか?
「全然なかったですね。プロレスに言葉は関係ないですから。試合が終わった後に『アリガトウ、アリガトウ』というコールが会場から起こって。
今ではアメリカで日本人の選手が試合することも多いですけど、当時はめずらしくて。こうやって『アリガトウ』のコールが起こったのは初めてなんじゃないかってカメラマンが言ってました。言葉は話せなくても、話す勇気、相手に伝えたい気持ちを教えてもらった気がします」
――現役時代はファンに弱さを見せないイメージがありました。
「不安を取り除くためにとにかく練習をしたんです。どれだけ自分が練習したかという思いが、プレッシャーをはねのける唯一の方法なので。
でもね、妻に言われるんですけど、『あなたの大丈夫という言葉ほど、大丈夫なものはない』ってね。引退してから結婚して、子供もできて毎日青春をして頑張っています。
子供に教えてもらえることも多いし、僕がしょぼくれているとみんなががっかりすると思うし」
――ご自身の腎臓ガン闘病中も周りの支えが大切だったということですよね。
「ひとりでは戦えないです。みんながいるから前向きになれたし、自分がガンを経験しているから、助けてもらった周りの人たちや同じ病気で苦しんでいる人たちのために何か社会貢献ができないか考えました。今後も、自分の経験を活かして応援していきたいと思っています」
――今、いちばん戦っていることは何ですか?
「毎日を必死で生きることです。52歳ですけど、よく講演でも『何歳になっても青春だ』と言っていて。自分にとってはプロレスという大きな青春時代があったんですけど、次の青春に向けて、一日一日を必死に生きることが大切なのかと」
こばしけんた
1967年3月27日生まれ 京都府出身 高校卒業後、京セラに入社するもプロレスラーになるため退職。