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小籔千豊も驚いた「吉本新喜劇の団結力」ボケる人に全力パス
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2019.06.10 16:00 最終更新日:2019.06.10 16:00
1959年の誕生以来、60年にわたって笑いを届けてきた吉本新喜劇。なかでも人々の記憶に強く残っているのが、数々の「名物ギャグ」だ。座長のひとりである小籔千豊が語った。
「吉本新喜劇には、たくさんのギャグがあります。僕にも、チンピラの役で『殺人、強盗、恐喝、窃盗、詐欺、婦女暴行、密輸、誘拐、放火……以外はやってきとんねや!』というギャグがあるのですが、これはある舞台で川畑(泰史)さんにチャンスをいただいて誕生しました。
本番で僕がボケることを知ってるのは、川畑さんと、中條(健一)さんと、はじめさんだけだったから、僕が急に『おい!』って前に出たときに、舞台上のみんながめっちゃ怯えてたのを覚えてます(笑)」
小籔はもともと漫才師をしていて、コンビ解散をきっかけに吉本新喜劇に加入。初めは全然出番がなく、ギャラも少ないため、やる気があまりなかったという。
「チャンスをいただいてボケをやるようになってから、新喜劇の全体を見渡せるようになったし、こんなんやってみたらどうかなっていう気持ちが芽生えてきたんです。
吉本新喜劇の笑いは、漫才師時代とはまったく違いました。漫才師は『個の力』がないと、売れない世界。正直に言って新喜劇には、NSC(吉本興業の芸人養成所)のエリートは入ってきません。
でも、組織で戦っているから、個の能力はそんなに求められていなくて、『死ぬこと』が称賛されたりもするんです。『次にボケる人のために、あえてパスをすることも大事なんや』と言われて、初めはびっくりしたけど、実際そうなんですよ」
「ウケるためにみんながひとつになる」という考え方は、漫才師時代にはなかった。それはギャグだけではなく、台本も同じだという。
「僕は座長として台本を作りますが、まず全体のことを考えています。ネタ作りの考え方はいっぱいあって、たとえば『箱女』という話は、いままでにない、座長が出てこない話にしたいと考えました。
とはいっても、座長がちょい役ではダメだから、『だったら箱の中に閉じ込められたまま、声だけでツッコんで笑いにしたら、新しいんじゃないか』という具合に」
ストーリーにメッセージ性を持たせることもある。
「初めての座長公演では、僕が演じる記憶喪失のチンピラが、殺すべき相手の人たちと仲よくなって人生をやり直すお話にして。自分の座長就任に、『今日から生まれ変わります』という決意をこめました。
座員がひとつになって、劇場にいるすべてのお客さんを笑わせる、それが吉本新喜劇なんです」
現在、吉本新喜劇の60周年を記念して、全都道府県とアジア各国を巡るワールドツアーが開催中。
「あるとき、吉本新喜劇の東日本での認知度が低いことについて、社員さんに聞いたことがあるんです。そうしたら『大阪とは笑いの質が違う』と言われたんですよね。
でも、『ウケるウケへん』はそこまで変わらない。笑いに地域性なんてないと思ってるんです。だから、こうして全国で公演ができることは、夢がかなったような気持ちで、本当にとんでもないことやと思っています。
今回のツアーは、日本語での公演ではありますが、海外でもやらせていただくので、これから世界の人たちにも、吉本新喜劇のギャグをどんどん届けていけたらいいなと思います」
こやぶかずとよ
1973年9月11日生まれ。漫才コンビ「ビリジアン」での活動後、2001年に吉本新喜劇入団。2006年には入団5年にして座長に就任した
(週刊FLASH 2019年6月18日号)