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レポーター東海林のり子、1万人の取材成果は67冊のノートに
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2019.06.17 16:00 最終更新日:2019.06.17 16:00
テレビレポーターの東海林のり子が、6月14日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演した。
番組冒頭で司会の黒柳徹子が、「元ニッポン放送のアナウンサーでいらして、事件事故のリポートが2000件近く」と東海林を紹介。
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これに東海林は「2000件の間にいろんな人にインタビューをする。1件でだいたい5~6人インタビューしたとして、武道館ライブの中にいる人たちぐらいの数の人にお会いしている」と応じる。単純計算したとしても1万人以上に上るから、すごい数である。
続いて、女性レポーターとしての駆け出し時代の苦労を聞かれ、こう振り返る。
「当時は、ほとんどのワイドショーも報道関係の方も男性が多かった。そういうところに1人で乗り込んでいくわけです。そうするとみなさんが『取材できるかな?』って目で見てくる。それが悔しくて、彼らが取材を終えて帰っても、もうちょっと残って取材してみようと、女性の粘り強さで頑張ってきた」
東海林はいままで取材した内容をすべてノートに記録し保管しているらしく、その数は「たまりにたまって67冊」だという。持参した1冊の分厚いノートについて、東海林は「取材に行って帰ってきてから、新聞記事を貼ってどんな事件だったかを残してある」と説明。「レポートするのに、その場で自分で(言葉を)書きますでしょう? (後から)自分の字がわからないときがある」と苦笑した。
さらに、取材で長時間の張り込みもざらだったというが、そうした現場ならではのエピソードを明かす。
「対象の人物が出てこなくて、何時間も家の前で待つとトイレに行きたくなる。それで、近所の一般のご家庭を『すみません、ちょっとおトイレをお貸ししていただけませんでしょうか?』と訪ねるわけです。
そのときに他局はボールペンを出しているんですけど、私のいた番組はそういうものがなかった。お借りしてただ帰ってくるのは失礼だと思って、(自分の)テレカを作りました」
テレホンカードには、取材車の前でマイクを持ちスーツ姿でバッチリ決めた若かりし東海林が写っている。自筆のサインまで入っているが、自腹で製作したものだという。
現場で空腹の際は「塩昆布」でしのぐことも多かった東海林。「(取材は)雨の日も風の日もなので、『負けちゃいけない』と、ずいぶん頑張れるようになりました」と明かしていた。数え切れない現場の苦労が、昭和の名レポーターを生んだのだ。