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佐野史郎の「JR中央線愛」いつも誰かがいるのが魅力
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2019.07.18 16:00 最終更新日:2019.07.18 16:00
ガード下を何駅も歩いたり、安居酒屋で潰れたり……。JR中央線にそんな思い出を持つ人は、世代を問わず多い。2019年は、新宿~八王子間の開業130周年。愛する中央線への思いを、俳優の佐野史郎に、街を歩きながら聞いた。
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上の写真は、「劇団『状況劇場』に所属し、悶々としていた」という28歳の佐野だ。当時は、「阿佐ヶ谷の稽古場に歩いて通っていた」と語る。
「ただ仲間といるのが楽しくて、将来のことなんか何も考えていませんでした」
もともとは東京育ち。小学校1年で、父の実家のある島根県松江市に引っ越し、高校卒業とともに再び上京した。
「当時は日本のフォークやロックが全盛で、吉祥寺がその中心でした。でも、真っ先に吉祥寺に住むと、おのぼりさんみたいで恥ずかしいので、『ならば』と逆らって原宿に住み、中央線で通っていました」
1985年、結婚を機に、念願の吉祥寺に引っ越した。そして翌年、林海象監督のデビュー作『夢みるように眠りたい』で、映画初出演を果たす。
「映画、音楽、演劇……、中央線沿線の街は、あらゆる文化が変化する拠点となり、街自体も大きく変化しました。でも、僕はそのころから好きなものが何も変わっていません。そして、いまも吉祥寺に住んでいる」
吉祥寺在住34年の佐野は、街歩きを楽しんでいる。
「行きつけの店もだいぶ変わりましたが、『いせや』の焼き鳥は、いまでもよく食べに行きます。
昨日、路上ライブを観ていたら、ミュージシャン仲間とバッタリ会って、路地裏でビール飲みながら『吉祥寺らしいよな』って思いましたね。『そこへ行くと誰かがいる』、これも中央線の魅力ですね」
さのしろう
1955年生まれ 1975年、劇団「シェイクスピア・シアター」に創設メンバーとして参加し、初舞台を踏む
(週刊FLASH 2019年7月16日号)