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松本零士、戦争体験を語る「家の蔵に弾がめり込んでいた」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2019.08.13 16:00 最終更新日:2019.08.13 16:00
『宇宙戦艦ヤマト』などで知られる漫画家・松本零士氏が、8月10日放送の『報道特集』(TBS系)で戦争体験を語った。
戦時中、疎開先の愛媛県にいた松本氏は、機銃掃射を受けた。「広島を攻撃した飛行機が帰りに余った弾丸を落としていった」と、家の蔵に弾がめり込んでいたという。
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戦時中、戦意高揚のためのプロパガンダ漫画もあったが、松本氏は「自分の意志や信念と異なることをやらなければならないこともある。だから戦争は残酷無残」と、表現の自由の面から戦争の虚しさを訴えた。
終戦の日、7歳の松本氏が家に帰ると、「ばあさんが家中の雨戸を締め切って、刀、長刀などを全部磨いていた」という。祖母は「敵が来たら刺し違えて死ぬのじゃ」と言うが、それは有事の際、「敵と」ではなく、「家族で刺し違えて死ぬ」意味だったという。
南方戦のパイロットだった父は、帰国後、「相手にも子供や家族がいるけど、心を鬼にして撃った。戦争は人間を鬼にする。あんなことは2度とやってはいかん」と、複雑な心境を明かしてくれた。
そんな父をモデルにしたのが『ヤマト』の沖田十三艦長。沖田艦長は作中「死ぬな」と何度も口にするが、それは、父の「人は生きるために生まれてくる。死ぬために生まれてくる命はない」という口癖をモチーフにしたという。
松本氏は、産経新聞に『宇宙戦艦ヤマト』の登場人物のモデルを答えている。
沖田艦長は「顔もセリフも父がモデル」。古代進は三菱重工でロケットや深海艇の心臓部などを手がけた弟の将(すすむ)さんから。森雪は、『男おいどん』の読者で手紙を山ほどくれた森木深雪さんという女性から。佐渡酒蔵は、自身の事務所にいた佐渡島出身の大酒飲みの青年がモデル。
「登場人物はすべて、知り合いとかを性格も含めて使いました」と語っていた。
ウェブ「NIKKEI STYLE」では、父が陸軍将校でベテラン戦闘機乗りだったことを明かし、家には飛行眼鏡や飛行帽、拳銃もあったと話している。
「兄貴と2人で拳銃をいじり回し、撃ってみようと窓から銃身を出したら『触るな。それは危ない!』と叱られたことも」と、いたずらっ子ぶりを告白。
だが、「父の趣味で手回し映写機もあったおかげでフィルムの原理を5歳で理解でき、後のアニメ制作に役立ちました」と仕事に役立ったことを明かしている。
81歳の松本氏。戦争の語り部が少なくなっているなか、もっと話を聞いてみたいものだ。