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吉田栄作のボンビー話「小遣いがなく空き瓶拾って10円獲得」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2019.09.06 20:00 最終更新日:2019.09.06 20:00
吉田栄作が、9月3日放送の『幸せ!ボンビーガール』(日本テレビ系)で生い立ちを語った。
神奈川県小田原市出身の吉田は、雨漏りするボンビー物件に父、母、兄と住んでいた。父は日用品問屋の社長だったが、吉田が9歳のとき、会社が倒産。そこからお風呂はヤカン1杯分のお湯を渡され、ガス代を節約することに。
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小遣いもなかったが、河川敷で見つけた空き瓶を所定の店に持っていくと、ビンの保証金として1本あたり当時10円を戻してくれたので、それをお小遣いにした。
一番の稼ぎ時は、少年野球練習後のグラウンドで、置き去りにされたビンをせっせと拾っていたという。吉田は「金持ちの子がジュースを買って練習後に置いていった。シメシメです」と振り返る。
高校時代になるとモテ始め、彼女と高層ビルから地面を見下ろし、「人って小さい。何か残せる人生にしたい」と芸能界を志望することに。
コンビニ、パーキングエリアの売店でバイトして、高校を卒業する頃には上京資金20万円が貯まった。上京後は家賃4万円のアパートで暮らした。養成所から芸能事務所に所属が決定したが、カラオケの映像や映画のエキストラといった仕事が1年に5本しかなかった。
そのため、渋谷駅近くのカフェ&バーでウエイターのバイト。吉田は「NHKの近くで三浦友和さんと真田広之さんが一緒に来ていた。まかないもタダで、昭和の漫画ぐらい山盛りにして食べていた」と振り返った。
そこから「ナイスガイ・コンテスト」に出場して大手芸能事務所に所属することに。
吉田は、1991年放送のドラマ『もう誰も愛さない』(フジテレビ系)などが話題を呼び、歌手としても1990年、1991年に紅白歌合戦(NHK総合)に出場した。
ウェブ「BARKS」のインタビューで当時を振り返り、「完全に自分でキャラを作ってましたよね。結局、当時はただ若さと勢いで、鏡で自分を見て、こいつがこういうことをすれば面白いんじゃないかっていう、演出が入ってました。たとえて言うと、黒いアイドルがいたっていいじゃないかと(笑)」と告白。
9月6日にアルバム『We Only Live Once 』を発売した吉田は、昨年末、大手事務所を離れ、独立している。自ら興した会社で気持ちを新たに活動しているようだ。