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相島一之、20年通う蕎麦店で人生を語る「闘病と妊活と」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2019.10.15 16:00 最終更新日:2019.10.15 16:00

相島一之、20年通う蕎麦店で人生を語る「闘病と妊活と」

 

「僕は、朝昼晩と続いても平気なくらい、そばが好きなんです」

 

 目を細めて割箸を手にする相島一之(57)。

 

「おっと、これを忘れちゃいけない」と、おもむろに手ぬぐいを取り出し、首からぶら下げた。

 

「よくそばつゆを飛ばして、白いTシャツにシミをつけちゃうんです。この手ぬぐい、いいでしょう? 小松政夫さんにいただいたんですよ」

 

 

 この日、相島が訪れたのは小田急線・喜多見駅近くの「丸屋」。笑顔が素敵な田中ウメさん(77)が迎えてくれた。

 

「創業は1964年、前の東京五輪の年です。港区愛宕の丸屋で修行していた亡夫と、赤坂の長寿庵で働いていた私を、親方同士が引き合わせてくれたんです(現在はともに閉店)。

 

 喜多見に開いたのは、丸屋の親方が、この場所に物件を見つけてくれたから。若いころの相島さんは、カランコロンって、下駄履きでいらっしゃいましたよ」

 

 当時、隣町である狛江市に住んでいた。丸屋は、ぶらっと散歩をしていて偶然に見つけたという。

 

「こちらに通いはじめたのは、ちょうど、ドラマ『ショムニ』(1998年、フジテレビ系)に出演していたころじゃないかな。ようやくテレビに出られるようになって、苦労を脱した時期ですね。いまでも年越しそばは、必ず丸屋です」

 

 大学は立教。2浪して入り、さらに卒業まで8年かかった。

 

「自慢でもなんでもないんですけどね(笑)。物書きの仕事に憧れ、毎日新聞社で原稿を印刷部門に走って届けたりする、いわゆる “ボーヤ” のアルバイトをしていたころ、同い年の三谷幸喜さんが会いに来たんです。『一緒に芝居をやりませんか』って。以来、彼が主宰する『東京サンシャインボーイズ』の全作品に、出演することになりました」

 

 1994年に劇団が活動を休止すると、テレビにも進出する。『愛していると言ってくれ』(1995年、TBS系)では、画家である主人公(豊川悦司)の才能に激しく嫉妬し、ネチネチと嫌みを言うライバル役を熱演。意地悪な役を演じさせれば天下一品の「名バイプレイヤー」として、引っ張りだこになった。

 

「連ドラ3本を掛け持つほど忙しくなりました。2007年には45歳で結婚もしたのですが、その翌年、大病を患ってしまったのです」

 

大学時代

 

 便に血が混じるようになり、痔のクリニックへ。顔色を変えた医師に促され、転院先で受けた診断は「GIST(消化管間質腫瘍)」だった。胃や腸の粘膜下にできる腫瘍で、発症率は10万人に1人か2人とされる珍しい病気である。

 

「ベッドの上で思ったのは、『あぁ、もう芝居ができないんだなあ』ということです。最悪の場合は骨盤内臓全摘出、人工肛門になるかもしれないと告げられましたから。人工肛門をつけながら舞台か……。なかなか難しいなって思いましたよ」

 

 だが、運よく病状は好転しはじめた。

 

「その後さらに、がん研有明病院に転院し、投薬治療をしました。10cm大だった腫瘍がピンポン球くらいになり、腹腔鏡手術で摘出できるほどになったんです。

 

 さらに幸運なことに、日本でも五指に入る名医が執刀してくれることになりました。そうなると気力も回復してきます。6時間におよぶ手術は成功。肛門も温存できました」

 

 丸屋の田中さんも振り返る。

 

「心配させたくなかったんでしょうね。病気のことは一切、私たちには言いませんでした。『しばらく見かけないねえ。忙しいのかねえ』ってみんなで話してはいたんですけどね」

 

 手術から3年後、相島は、大きな決断をする。

 

「奥さんと話し合って、子供を作ることにしたのです。幸いにも、また役者の仕事ができるようになりました。そうなったとき、これから私たちが生きていく力や希望を、私たちの子供にも捧げていきたいと思ったんです。

 

 医師とも相談して、投薬を一時中断。いわゆる妊活をしました。そして、49歳で男の子を授かりました」

 

 3年後には女の子も誕生。相島は、2人の「お父ちゃん」になった。ひとり丸屋に通うようになって約20年。その10年後に病気になって、今は家族で食べに来る。

 

「丸屋に来ると、いろいろ思い出しますね。妻や子供たちとここに来て、それぞれおそばを頼んで、1杯のカツ丼を分け合ったりしていると、やっぱり嬉しいし、幸せです」

 

 長男は8歳になった。

 

「子供たちは早く寝るので、僕が出演するドラマはなかなか観られないんですけど、早い時間のバラエティなどに出ていると、『お父ちゃんだあ』って大騒ぎしてくれます。その姿を見ると『もうひと頑張りしなくちゃな』って思うんですよ」

 

 病気以来、ブルースバンドや落語など、新しい分野にも挑戦するようになった。

 

「子供の運動会に行くと、まわりのお父さんは30代ですよ。僕なんか、おじいちゃんです。年齢的に怖くなってきましたけど(笑)、まだまだやるしかないんですよね」

 

 夫として、父として、そして俳優として。丸屋は、いろいろな自分を再確認する場所である。


あいじまかずゆき
1961年11月30日生まれ 埼玉県出身 立教大学卒業。2019年はドラマ『Iターン』(テレビ東京系)、映画『台風家族』(市井昌秀監督、公開中)、『3人の信長』(渡辺啓監督、9月20日公開)などに出演。バラエティ番組への出演も増えている。12月には自身が率いるブルースバンドのワンマンライブを予定している

 

【SHOP DATA:丸屋】
・住所/東京都世田谷区喜多見8-16-8
・営業時間/11:00~15:00、17:00~21:00
・休日/木曜、第3水曜

 

(週刊FLASH 2019年10月1日号)

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