エンタメ・アイドル
でんでん、馴染みの店で「プータロー時代に得た役者力」を語る
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.01.07 16:00 最終更新日:2020.01.07 16:00
「ママ、ホッピー。あとホルモンちょうだい。1.5人前でいいよ。1人前だと少なくて、2人前だとちょっと多いんだ(笑)。ママ、チャッカマンもね」
そう言ってから、慣れた手つきでコンロのホースをガス栓に繋いだ。東京・中野の「ホルモン焼番屋」は、でんでん(69)が俳優になる前から、40年以上通う店。
【関連記事:相島一之、20年通う蕎麦店で人生を語る「闘病と妊活と」】
「『キントリ』(ドラマ『緊急取調室』、テレビ朝日系)のメンバーとは仲がよくて、ここの常連になったメンバーもいるよ」
いつも座るのは、カウンターの定席だ。メニューになかったホッピーも、でんでんが “マイボトル” を2本持参したのがきっかけで、メニュー入りした。コンロに手をかざして待つのが、でんでんのこの店でのルーティンだ。
「鉄板を温めておいたほうがいいから、こうやって待ってんの。ここのホルモンね、本当にうまいの。驚くよ。
前に教わったんだけど、みんなで食べるときは、1枚ずつ並べて焼くんじゃなくて、てんこ盛りに置く。そうすると、焼いたような蒸したような感じになる。それでかき混ぜながら、この焦げ目がいい感じになったときが食べごろね。
何回か噛んだら、つるっと飲み込む。少し臭みが残ったぐらいがうまいですよ。これね、本当に飽きないよ。でも、火曜日から水木金土って毎日来たら、さすがに土曜日はイヤになっちゃった(笑)。
カメラマンさんも本当に美味しいから、食べてみてよ。食べてからだと、撮り方が変わっちゃうよ(笑)」
店のママも、「役者さんになる前もなったあとも、なんにも変わらない。すぐに、お客さんとも親しくなるんですよ」と笑う。
テレビでは、大相撲九州場所が流れている。芋焼酎をホッピーで割るのが、でんでんの好みだ。
「相撲好きの常連がいてね、本当にここは “いい桟敷席” なんだ(笑)。俺、中学と高校で卓球をやってて。ここに卓球の社会人チームの人が来ていて、その縁で30過ぎからまた始めたの。
この腕時計は、おととしの『東京卓球選手権』のショービズ(芸能人)の部で、準優勝してもらった副賞。四元(奈生美・41)さんに、決勝で負けちゃった。
場所もあって仲間もいるから、毎週、練習やってるよ。でもこれから舞台の稽古が始まるから、ちょっと行けなくなるね。
19歳のとき、故・渥美清さんに弟子入りしようと、自宅を調べて福岡から出てきたが、あいにく留守だった。
「それで出直して、入社したのが丸井。下北沢店の婦人服売場に配属になって。ミニスカートが流行ってた時代だから、寸法直しの裾を上げるのが恥ずかしくてね。『もっと短く』って言われて、なんとなくモワーッとしたのを覚えてるよ(笑)」
『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系、1980年~1986年)で8週勝ち抜き、森田芳光監督の『の・ようなもの』(1981年)で映画デビュー。園子温監督の『冷たい熱帯魚』(2011年)では、主要な映画賞を総なめにし、一躍、注目を浴びた。
「丸井を4年ほどで辞めて、『劇団ひまわり』の青年部に入ったんですよ。そこを辞めてから4年ぐらいは、プータローっていうか、お金がなくなったらバイトだった。そのころは、麻雀とかパチンコばっかり。
そこで出会ったのが、『蒟蒻芋の輸入販売をしてる』と言ってたのに、じつはヒモやってる人とか。詐欺師まがいの人もいてね、嘘をつくときは、人にしゃべらせない。マシンガントークで質問させない。それで最後は『わっははは』って笑うんだよ。
警備員をしていたとき、持ち場の前に、ホームレスの親父さんが住んでいてね。階段を上がっていく女性のスカートを覗くの。『親父さん、何やってるの?』って訊くと、『イヒヒヒヒ』って。
そんな人たちをたくさん見てきたことが、役者をやるうえで、ものすごく、ものすごく役立ってる。頭で考えて役作りをしようとしても、自分の想像力なんて、たかが知れてるんですよ。想像じゃないのよ、実際にそういう人物を見てるから。
『冷たい熱帯魚』(笑いながら人を殺し、解体する熱帯魚店の店主の役)は、そんな人たちの複合技なの。いろんな人間が入ってるんです、あの中に。賞をもらったときは実感がなかったけど、5、6年たってからジワジワと、『ありがたかったな』って思うようになったね」